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徒然日記 - プライベートカテゴリのエントリ

から続く。

「和漢三才図会」があてにならないとわかって、それでは何故、「焼酎」が夏の季語となったのかを調べるため、リニューアルしたばかりの浦安市立図書館中央館に行って、季語事典みたいな本を片っ端からめくってみました。

しかし、「焼酎」について記載のある本の中でも、「暑気払いとして飲まれている」程度のことしか書かれておらず、大した成果は得られませんでした。

そこに、我が焼酎の師の一人、宮崎市在住の與さんから、

「季語の焼酎っておそらく清酒圏における粕取り焼酎なのかもしれないですね。根拠はありませんw。
一部の農村部で粕取りを盛んに飲むのがサナブリから夏にかけてなんですよね。論拠はそれだけですw。」

と、耳寄りな情報が届きました。

詳しくは、與さんの書かれた「Dr.けんじの粕取焼酎概論」という素晴らしい論考をお読みいただければと思いますが、清酒粕を蒸留して造る「粕取焼酎」は、特に福岡県の北九州地方のものが名高く、「早苗饗(さなぶり)焼酎」と呼ばれて、田植えを終えた後の祝いの宴で振る舞われ、よく飲まれたということのようです。

kscz58ynkさんによる写真ACからの写真:早乙女

宮崎では、今でこそ超早場米が主流で、多くの田植えは3月には終わってしまいますが、一般的に普通期米の田植えは5〜6月。まさに季節としては夏になります。
ちなみに、「早苗饗」も夏の季語のひとつです。

米から作られる日本酒を搾った後の酒粕には多くのアミノ酸が含まれており、肥料の原料として優秀ですが、そのままでは含まれるアルコール分が害になるので、蒸留してアルコール分を飛ばしてやる必要があります。
蒸留した後の下粕は冷まして米を作る田んぼの肥料に使い、その際にできる副産物を「粕取焼酎」として田の神に捧げ、自分たちでも飲むというのが、稲作農家で繰り返し行われてきたサイクルだったのでしょう。

もちろん、そうした粕取焼酎を飲むのは、田植えの後の「早苗饗」に限らず、そこを皮切りに、夏の間は労働後の暑気払いや様々な祝いの席などで飲まれたのでしょう。

明確に書かれた文献を見つけることはまだできていませんが、「焼酎」が夏の季語であるのは、そうした背景から来ているのではないかと想像できます。

kscz58ynkさんによる写真ACからの写真:早乙女

そうなると、この落合酒造(宮崎市)の純米酒粕焼酎「残心14%」なども、「夏焼酎」の列に加えた方が良いのかもしれませんね。
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テゲツー!夏焼酎の記事を校正する必要があって、俳句の世界では「焼酎」が夏の季語とされているのは何故かが気になったので、調べてみることにしました。

とりあえずGoogleで「焼酎 夏の季語」をキーワードに検索かけると、

「江戸時代の百科事典『和漢三才図会』によると「気味はなはだ辛烈にして、疲れを消し、積聚を抑へて、よく湿を防ぐ」と書かれています。要するに夏の暑さに疲れた身体に活を入れ、精力をよみがえらせる酒と位置づけられていたのでしょう。」

みたいな記述があちこちに見られます。

検索結果に似たような記述が多くて多様性が無いのは、冷や汁の鎌倉時代起源説と似ていて、何か怪しい予感がしたので、原典の『和漢三才図会』を確認してみることにしました。

『和漢三才図会』は、国立国会図書館のデジタルコレクションに中金堂1888年版が収録されていて、上之巻、中之巻、下之巻、総目録の4巻に分かれています。
そこで、いろは順に並んだ総目録をめくって「焼酎」の項目がどこにあるかを探したところ、下之巻の1786頁にあることがわかったので、下之巻に移動して当該頁を探し出しました。



上記の画像(クリックすると別ウィンドウで大きな画像が表示されます)がその焼酎の頁ですが、当該部分は最後の方にあって、
「気味甚辛烈而消痞抑積聚能防濕」(返り点省略)
と記されています。

『角川大字源』や『広辞苑 第5版』などで個々の漢字の意味を調べてみると
「痞」は「つかえ」で、疲れではなくて、「腹中に塊のようなものがあって痛む病気。胸や心のふさがること。」という意味、
「積聚」は「しゃくじゅ」で「さしこみ。癇癪。」、
「濕」は「湿」の異体字で「しつ、とう、しゅう」などと読み「しめる。うるおう。うれえる。気を落とす。」などといった意味があります。

これらから察するに、
「焼酎は胸のつかえを消し、癇癪を押さえ、じめじめとした陰鬱な気分を防ぐ」
と解すべきで、気分を晴れやかにするものではあるけれど、「疲れを取る」とは読めないのではないかと考えます。

また、同じ焼酎の項の前の方に、
「北人四時飲之 南人止暑月飲之」(返り点省略)
と書かれていますが、これは、
「北人は四時(しじ)之を飲み、南人は止(ただ)暑月に之を飲む」
と読み、
「北の方の人は一年中これ(焼酎)を飲んでいるが、南の方の人は暑い季節だけこれを飲む」
と解せます。
日本では、焼酎は専ら九州以南の飲み物なので、何か変だなと思って更に調べていたら、中国の明時代の文献『本草綱目』(1593年上梓)の「焼酒」の綱目に同様に
「北人四時飲之 南人止暑月飲之」
という記述があることがわかりました。

中国で焼酒とも呼ばれる白酒などの蒸留酒は、主に東北部で愛飲されているので、中国のことと考えれば整合が取れます。



念のため、『本草綱目』第25巻の原本を国立国会図書館のデジタルコレクションで確認してみましたが、どうも、『和漢三才図会』の焼酎の項目は、『本草綱目』のそれを殆どそのまま引き写しているようです。

ということで、焼酎が夏の季語であることの理由付けに『和漢三才図会』を持って来るのは、少し無理があるようです。

誰かが間違った解釈で書いた物がインターネットに乗り、以降、特に検証もされずに引用、孫引きを繰り返されているようです。
皆様、ご注意あれ。

この話、長くなるので2回に分けます。
続きはまた後日。
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断捨離

カテゴリ : 
プライベート
執筆 : 
Dice 2020-6-27 10:00
今回、宮崎から浦安に引っ越すに当たって、いろんな物を手放してきました。
中には、長年付き合ってきたものも多く、手放すのに忍びないものもあったので、思い出代わりに書いておきます。

まずは、片手の中華鍋(北京鍋)。
大学2年の時に大阪の道具屋筋にある専門店までわざわざ買いに行ったもので、一口のガスコンロだけの台所だった大学時代は、炒める、焼く、煮る、蒸すと万能の中華鍋一つでたいがいの料理は作ってました。
その後も炒飯など中華料理を作るのに欠かせない道具として、ずっと愛用してきて、結婚式の披露宴の時も、舞台上でこの中華鍋で炒飯を作ったのでした。
しかし、浦安のマンションはオール電化で丸底の中華鍋が使えないので、泣く泣く手放すことにして、他の調理道具と一緒に譲ってきました。

青島とクロスバイク
2006年4月から乗ってきたクロスバイク(SPECIALIZED CROSSRIDER XC SPORT)も、調理道具と一緒に譲ったもののひとつ。
オリジナルから28cのタイヤに替え、2016年にオーバーホールしたりして、大事に乗ってきました。
宮崎での単身赴任時代は、これで椿山を越えて日南市北郷に抜け、そのまま日南海岸を北上したり、夏の暑い時期にひまわり畑を取材に高鍋まで行ったりしたのは良き思い出です。
今回、引っ越しは段ボール箱に詰めて送れるものだけにしたのと、そろそろ次の自転車にしても良いかなと思って、譲ることにしたのでした。

今回断捨離したもので、最も長くお付き合いしたものとは、日本図書館協会の会員ですね。
大学に入ってすぐ、18歳の時に個人会員となり、実際に図書館員として勤務したのは3年間だけなのですが、この3月まで40年間、会費を納め続けてきました。
40年というひとつの区切りを迎えて、これまで会員としての権利はほとんど享受して来なかったし、もう今さら仕事で図書館と関わることも無さそうなので、良い頃合いだと思うことにしました。
協会の会員でなくなっても、図書館司書であることが自分のバックボーンであることは変わりませんし。

もうひとつ、ほぼ同じ期間つきあってきたのが、小学館発行の雑誌『BE-PAL』.
アウトドアのバイブルとして、1981年の創刊号から欠かさず買ってきましたが、さすがにアウトドア自体が縁遠くなってきたのと、読むワクワク感が薄れてきたの感じてきたので、思い切って定期購読を止めることにしました。
ギアのカタログとしては、代替するWebメディアが増えていることも、止める決断を後押ししました。
気に入った記事は、スキャナで読み込んでアーカイブしてあるので、その蓄積でこれからもなんとかなりそうではありますし。
しかし、デジタルアーカイブしても、読み返すことは殆ど無いんですよね。単なる安心感でそうしてることも多いのですが、たまに10年くらい経って役立つこともあるから止められない。

なんか、長年付き合ってきたものと別れるのは、一抹の寂しさもあるのですが、いつまでも抱えきれませんし、年齢的にとっくに人生の折り返し地点は過ぎているので、必然的に終活を意識しなければならなくなり、これからも捨てるものの方が増えるのでしょう。

それでも、まだまだ捨てきらないものも多くて、浦安の部屋はなかなか片付かないままです。
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材料

7色の冷や汁プロジェクトのひとつ、「黒の冷や汁 (Hiyashiru di Nero)」。
以前一度、冷や汁の素を使って試作したことがあるのですが、色の出方がいまいちだったので、再度トライしてみることにしました。

ベースに使った材料は、上の写真のとおり。
黒豆の味噌、粉末いりこ、粉末しいたけは、新宿みやざき館KONNEで購入。
黒胡麻も売ってましたが、今回は、黒胡麻のすりごまとペーストを別途用意しました。

すりごまと味噌と粉末いりこ

土曜日の昼食として作ったので、分量は3人前です。

まず、黒のすりごま15gを擂り鉢で更に擂り、黒豆の味噌60gと、粉末いりこを20g投入。

粉末しいたけ投入

さらに、粉末しいたけを10g加えて、よく練り合わせます。

よく練り合わせる

粉末が多いので最初はぼそぼそしてますが、ゴムべらなどを使って根気よく混ぜていくと、耳たぶくらいの硬さにまとまってくるので、全体を薄く広げます。

全体が黒っぽくてなかなか良いですね。

よく練り合わせる


広がったら、バーナーで炙ります。

擂り鉢を逆さにしてガスレンジの火で炙る方法もありますが、粘度が低いと剥がれ落ちて悲惨なことになるので、バーナー使う方が安全です。
我が家はオール電化なので、これしか方法が無いのですが。

強い炎でやると表面が一気に焦げてしまう可能性があるので、出力調整できるバーナーなら、弱めの火でじっくり炙る方が良いです。
ただ、擂り鉢も熱くなりますので、火傷にはご注意を。

よく練り合わせる

表面に軽く焦げ目がついたら、冷や汁の素の完成。

たくさん作ったら、小分けして冷凍しておけば、いつでも冷や汁が食べられます。

お湯で溶く

続いて、溶いて汁にする作業に入ります。
まず、100ccの熱湯を少しずつ加えて溶いていきます。
いっぺんに入れるとだまになって溶けずらくなるので、少しずつ注いでは混ぜ、注いでは混ぜします。

冷水で伸ばす

お湯で溶き終わったら、今度は350ccの冷水で伸ばしていきます。
こちらも、様子も見ながら少しずつ入れて混ぜると良いでしょう。

これで、ベースは完成ですが、色がもう少し黒い方が良い気がします。

胡麻ペースト投入

黒みを出すために、黒胡麻のペーストを大さじ1杯分加えました。
少し黒さが増しましたね。
これを冷蔵庫に入れて冷やしておきます。

木綿豆腐をほぐす

汁を冷やしている間に、具材を用意します。

まず、木綿豆腐を適当な大きさに手でちぎって、水切りしておきます。
分量は、1人分80g前後。お好みで増減してください。

宮崎では、豆腐を入れない家庭もありますし、味噌と一緒に擂り混ぜるところもありますが、『宮崎県史 別編 民俗』によれば、「豆腐をいれるのが宮崎の冷や汁の特徴」とありますし、こうして木綿豆腐をほぐして入れるのが個人的には好みです。

きゅうり、みょうが、大葉

野菜は、きゅうり、みょうが、大葉の3種類。

宮崎が日本一の生産量を誇るきゅうりは、身体を冷やす働きもあり、みょうがと大葉はともに食欲増進効果があるので、この3つは冷や汁の具材として外せません。

今回3人分で、きゅうり1本、みょうが4個、大葉8枚を使いましたが、分量はお好みで増減してください。

全部を混ぜて完成

具材が用意できたら、あらかじめ冷やしておいた汁の中に投入して完成!

見た目は、思い通りに黒さが際だって、なかなか良い感じに出来ました。
やはり、わざわざ黒豆の味噌を使っただけのことはありますね。


ごはんにかけて実食

出来上がったら、ご飯にかけて実食です。
今回のご飯は、もち麦を少し混ぜて炊きました。
もともと冷や汁は、麦飯を少しでも美味しく食べるためのものだったという説もあり、麦飯との相性は良いのですが、麦100%だとさすがに食べづらいので、2割ほど麦を入れるのが良さそうです。

今回の味の総評としては、いりこ感が少し強すぎたのと、塩味が少し足りないことを除けば、なかなか美味しくできました。
次回作るときは、黒豆の味噌を少し多めにして、いりこは少し控えたいと思います。

黒胡麻を使っても、味は普通の冷や汁と変わりませんが、白胡麻に比べて抗酸化作用のあるアントシアニンが多く含まれるので、ヘルシー度は上がります。
皆さんも一度お試しあれ!
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「その10 セントーサ島〜虎豹別墅」から続く。

MUSTAFA


「虎豹別墅」を後にして、お土産のアーユルヴェーダ石けんを買うために、リトルインディアにある「ムスタファ・センター」に連れて行ってもらいました。

24時間オープンの巨大ショッピングセンターは、地下2階地上4階の広大な建物の中に、日本のドン・キホーテのように化粧品から日用雑貨、食料品まで無いものは無いのではと思えるくらいぎっしりと商品が詰め込まれていて、見て回るだけでもなかなか楽しいのですが、写真を撮る余裕は無かったので詳細は省略。

ここで買ったのは、アーユルヴェーダ石鹸を3種類に、肉骨茶(バクテー)の素3種、ドライ・イチジクなど。
なかなかリーズナブルにお買い物できました。



Kampong Chicken Eating House (甘榜山雉餐室)


Kampung Chicken Eating House外観

今回の旅で最後の食事となる夕食は、石田君に食べたいとリクエストしておいた「海南鶏飯」。
「シンガポール・チキンライス」とも呼ばれるように、これまたシンガポールを代表する料理のひとつ。
石田君のオススメは2か所あったのですが、「身がプリプリな方」をリクエストして連れてきてもらったのが、この「Kampong Chicken Eating House (甘榜山雉餐室)」。
地元民しか行かない感じの店構えで、期待が高まります。

店頭の山雉

店頭にKampong Chickenが吊されていて、ここでぶつ切りにしてくれて、テイクアウトも可能。

「Kampong」というのは、マレーシア語で「村」という意味だそうで、「Kampong Chicken」というのは、一般的にはマレーシアやインドネシアで放し飼いされている在来種の鷄を指すらしいのですが、村で育てられている鷄を指す場合もあるとのこと。
ここの鶏がどういう鶏なのかは聞きそびれましたが、黄色いのは、ターメリックを入れて茹でられているからみたいです。

店頭のメニュー

店頭にメニューがありましたが、茹で鶏の外に、揚げ鶏、何故か蟹も看板メニューのようです。
外にもサイドディッシュがいろいろありましたが、今回は茹で鶏にフォーカス。

甘榜山雉

石田君と2人で、ハーフサイズ(半身)をシェアしました。
食べやすいように、包丁で骨ごとぶつ切りにされています。

これを、中国醤油とチリソースに付けながらいただきます。
適度な歯ごたえのあるプリッとした身質で、肉そのものにも旨味があって、なかなか美味しいです。

まる2日一緒にいて話題も尽きかけているので、「美味い」以外の言葉もほとんど無く、おっさん二人で骨付きの肉をひたすらしゃぶっていました(笑)。

ライスとスープのセット

チキンライスなので、ライスとスープも付けました。
鶏の出汁で炊かれたごはんと、鶏を茹でたスープですね。シンプルにして滋味深い味でした。

今回の旅で最後の食事で、念願だった本場の海南鶏飯を、しかもかなりレベルの高い鶏を食べることができて、大満足でした。
シンガポールを再訪することがあったら、ここは再度訪れたい場所です。



Jewel Changi Airport



夕食が終わってその後、IONオーチャード店にある「Bengawan Solo(ブンガワン ソロ)」でクッキーなどのお菓子も買って、お土産の買い物は終了。
最後、石田君に車でチャンギ国際空港まで送ってもらって、空港の隣に新しくできたJewelというショッピングモールへ。



施設の中央にRain Voltexという屋根から地下まで円柱状に落ちる人工の滝があって、それがまたライトアップされて色が美しく変わって行きます。
よくこんなもの作ったなと、シンガポールの勢いに感心するばかり。

ここには、レストランもいろいろあるし、ブランド品のショップもあるし、お土産品も買えるしで、旅行者だけではなく、地元の人も多かったです。

しかし、広くて見所多いので、うかうかしてたら飛行機に乗り遅れる可能性がありますから要注意です。



SATS Premiere Lounge T2




石田君と別れ、0時30分発NH804便の搭乗まで少し時間があるので、免税店で自分用のお土産にグレンリベットのキャプテンズリザーブを1本買った後、Priority Passで入れるSATS Premiere Lounge T2へ。

ここは、アルコール類もひととおり揃っていて、セルフサービスで好きなだけ無料で飲めるようになっていました。
往路の機中であまり眠れなかったので、少し飲んでおくと眠れるかなと思って、とりあえず赤ワインを1杯いただくことに。

飲みながら、宮崎から持って来たけどここまで使わなかったPCを、Freeのwifiに繋いでメールをチェック。



このラウンジには軽食もあるのですが、夕食はしっかり食べた後でしたし、さすがに夜遅い時間帯でほとんど料理は残っていなかったので、ミックスナッツで白ワインをもう1杯。

そうこうしているうちに搭乗の時間が近づいてきたので、これで眠れると良いなと思いながら、ゲートへ向かいました。

帰国




NH804便に乗り込んだら、往路と同様に身支度を調えて寝ることに努めましたが、ワインの効果も無く、やはりあまり眠れませんでした。

到着2時間前くらいに前に出された機内食は、和食を選択。親子丼と冷やしうどんと果物。

往路は羽田からでしたが、復路は成田着。
成田空港は、宮崎からJetStarが飛んでいるのでたまに使うのですが、国際線で降り立つのは10年ぶりくらい。
出国同様に入国審査も自動化されていて、顔認証ゲートにパスポート置いてカメラに顔を向けたら照合されてゲートがさくっと開くというお手軽さ。
ゲートを抜けたらバゲッジクレームで預けた荷物を回収して、税関の申告品も無いのでそのまま到着ロビーへ。

そこから京成本線と東西線を乗り継いで浦安の自宅まで戻り、大半のお土産品を下ろしたら、再び電車で羽田空港へ。
夕方の便で羽田から宮崎に飛び、11月18日(月)の20時前にアパートに帰り着いて、1泊4日の弾丸ツアーが終了しました。

慌ただしい弾丸ツアーでしたが、満足度のものすごく高い旅になったのは、ひとえに案内してくれた石田良夫君のお陰です。濃密な2日間の最初から最後まで、大変にお世話になりました。改めて深謝します。

いつの間にか2ヶ月に渡り11回も連載することになってしまったシンガポール旅行記、以上で終了です。
自分の備忘録的にまとめましたが、誰かのシンガポール旅行の役に立てば幸いです。
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「その9 日本人墓地公園〜ラクサで昼食」から続く。

美味しいラクサをいただいた後、石田君の車は、シンガポール南部にあるレジャーアイランドのセントーサ島へ。

FORT SILOSO (シロソ砦)


FORT SILOSO入口

カジノやユニバーサルスタジオ、ゴルフ場、ビーチなど様々なエンターテイメント施設のあるセントーサ島ですが、石田君がまず案内してくれたのは、島の西端にある「FORT SILOSO (シロソ砦)」

スカイウォーク入口

1880年代にイギリス軍がシンガポール港の防御のために築いた要塞で、1942年2月の日本軍との戦いで陥落した戦跡です。
現在は、当時の遺構を生かした「シロソ砦戦争記念館」として公開されています。

まず、駐車場の近くのスカイウォーク入口からエレベーターで上に上ります。

沖合にたくさんの船

高い所が苦手という石田君の話によると、シンガポール人はスカイウォークが大好きで、いろんなところに無駄にスカイウォーク作るらしいのですが、上に昇ると、南側にはこんな光景が広がっていました。

沖合には、入港を待つ船がずらりと並んでいて、なかなかの壮観です。
何せシンガポール港は、コンテナ貨物取扱量で世界第2位の港(第1位は上海港(2018年))。
日本で1位は東京港(世界では35位(2018年))なのですが、その8倍、年間約3,660万TEUのコンテナを取り扱います。

本島側を望む

同じ場所から反対側、シンガポール本島側を望むとこんな風景が。
豪華客船が停泊している奥に、本島からセントーサ島に渡るケーブルカーが見えます。

要塞の入口

スカイウォークを奥へ進むと、シロソ砦の入口に到着。

広い敷地に点在する要塞の遺構を生かしながら、当時使われた大砲などが、人形などとともにリアルに展示されています。
場所によっては、人が近づくと自動的に音声が流れる仕掛けがほどこされていたりして、なかなか凝った展示になっていました。

対艦砲

こんな風に、対艦射撃用の6インチ砲と人形がリアルに配置してあったりする訳です。

9.2inch BL Gun

これは、イギリス軍が使っていた9.2インチ砲の砲身。
こんなのがあちこちにごろごろしてましたが、ミリヲタでもないので、華麗にスルーしました。

日本軍の攻撃により陥落したこの要塞は、その後イギリス軍兵士の収容所として使われたりしたそうです。

日本の戦争遺構って、殆ど手も入れられず風化にまかせてボロボロな所が多いのですが、ここは公園としてきれいに整備されていて、訪れる人も多いようでした。

要塞の入口

シロソ砦から駐車場に戻る途中、海沿いの道を通った時に見えた風景。

対岸のビルは、本当に湾曲する形で作られていて、ビルとビルの間にスカイウォークも見えます。こういう無駄というか遊びに溢れているのがシンガポールのビルの特徴でもあります。

手前の船は、観光クルーズ船ですね。




アジア大陸最南端地点!?


シロソビーチ

シロソ砦から駐車場に戻りましたが、まだ時間があるので、そこからビーチの方に下りてみました。
写真の右上あたりに駐車場があり、全室オーシャンビューのリゾートホテルの下一帯が、シロソビーチ。
セントーサ島の南西部は、このシロソビーチから南東数kmに渡ってビーチが整備されており、シンガポール人や観光客が、海水浴やアクティビティを楽しむことができるスポットになっています。

海岸線に沿った道路には、セントーサビーチトラム(Sentosa Beach Tram)という無料で乗れる周遊シャトルが10分間隔で運行されているので、それに乗って、「The Southermost Point of Continental Asia (アジア大陸最南端地点)」があるというパラワンビーチへ向かいます。

the Southernmost Point of Continetal Asiaの看板

パラワンビーチに着いたら、植え込みの中にちょっと古ぼけつつある看板がありました。
ここが最南端地点なのかと思ったら、石田君がもっと先だと言うのです。

吊り橋

なんと、ビーチのちょっと沖に砂の小島があり、そこまで吊り橋がかかっているではありませんか。
小島には、展望台が2基あって、その間をスカイウォークが繋いでいたりします。

the Southernmost Point of Continetal Asia

ちょっと揺れる吊り橋を渡った先に、「THE SOUTHERNMOST POINT OF CONTINETAL ASIA」と書かれたフォトポイントがあったので、とりあえず記念撮影しました。

しかし、シンガポールそのものが島国で、セントーサ島はその南端の島。さらに、この看板がある地点は、セントーサ島のビーチから吊り橋で渡る島なので、Continetal Asia(アジア大陸)と地続きではないんですよね。
しかも、地図で確認したら、ここはセントーサ島の最南端でもありませんでした。
いいんですかね?こんなアバウトなことで(笑)。

ちなみに、真の意味でアジア(ユーラシア)大陸の最南端地点は、マレーシアのジョホール州にあるタンジュン・ピアイという岬の先端だそうです。




Haw Par Villa (虎豹別墅)


Haw Par Villa入口

「The Southermost Point of Continental Asia」から再びビーチトラムに乗ってシロソビーチに戻り、石田君の車に乗ってセントーサ島を後にしました。
次なる目的地は、「Haw Par Villa (虎豹別墅)」

Haw Par Villaの門

かつては「Tiger Balm Garden (タイガーバーム・ガーデン)」と呼ばれていたここは、「Tiger Balm(虎標萬金油) 」という世界的に有名な軟膏で財を築いた実業家Aw Boon Haw(胡文虎)Aw Boon Par(胡文豹)の兄弟によって建設されたもので、1937年に開園しています。

タイガーバーム・ガーデンは香港にもあって、かつて新婚旅行で香港に立ち寄った際に訪れた記憶があるのですが、2000年に閉園しちゃったみたいですね。

海をモチーフにしたっぽいジオラマ

それでこの「虎豹別墅」ですが、結構広い敷地の中に、中国の儒教・道教・仏教や、様々な伝説・説話等をモチーフとした数多くの像とかジオラマがあちこちに展示されています。

十大地獄の様子を表したおどろおどろしいものや、『西遊記』をモチーフにしたものなど日本人にもわかりやすいものから、何となく言わんとしていることはわからなくも無いけど出典がわかるともっと理解できるのだろうなというもの、はたまた全然理解できんわというものまで、多種多様。

全然美しくない人魚

とにかく、極彩色でサイケでキッチュでグロテスク。
なんとなく不安で落ち着かない雰囲気が漂っていて、異世界感満載。
ちっちゃい子ども連れてきたら、阿鼻叫喚で悲惨なことになりそうですが、意外と子ども連れもたくさんいました。

創設者の胡兄弟の精神世界を反映しているらしいのですが、いやいやどんな人達だったんでしょうね?
胡兄弟は金出して造らせただけなので、これらの像を実際に造った造形作家というか職人さん達も大勢いるはずで、それが揃いも揃ってへたうま感に溢れていることに逆に驚き。

相撲の力士像2体

何故か、相撲の力士像もあったりして。横綱の土俵入りの場面なのかな?

私の感性だと、一回行ったらお腹いっぱいになっちゃって、もう次は無いかなと思いましたが、入場無料だし、話の種に一回は行ってみるべきなのかも。



「その11 最後の夕食〜帰国」へ続く。
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「その8 戦争の記憶を訪ねる旅」から続く。

日本人墓地公園


日本人墓地公園

「Former Ford Factory」から西に車を走らせ、広い幹線道路から住宅街の細い道に入って到着したのが、「シンガポール日本人墓地公園」。
1888(明治21)年にシンガポールで娼館主・雑貨商として成功した二木多賀治郎が自己所有のゴム林を日本人共有墓地のためにと提供したことに端を発し、1891(明治24)年に開設されたこの墓地には、からゆきさん、戦前に活躍した日本人、戦犯処刑者などが明治から昭和にかけてシンガポールで亡くなったたくさんの日本人が眠っています。

二木多賀治郎の墓

その二木多賀治郎の墓。
長野県出身の元船員で、1888(明治21)年に渡星。娼館、雑貨商、ゴム園の経営で財をなし、初期の日本人街のまとめ役となった人物。
日本人の相互扶助を目的とした「共済会」を発足させ、それが現在も続く「日本人会」の礎となっており、この墓地は、今も「シンガポール日本人会」が毎年慰霊祭を行っているのだとか。

からゆきさんの墓

墓碑ではなく、小さな石柱だけが並ぶのが、からゆきさんの墓。
からゆきさんについては、山崎朋子著『サンダカン八番娼館』や森崎和江著『からゆきさん』に詳しいのですが、貧困故に身売りされて娼館で働いていた女性達が、故郷に帰る夢を果たせぬまま異国の地で亡くなった無念が眠っています。
この墓地にからゆきさんの墓が多いのは、解説者の二木多賀治郎が娼館を経営していたことと無縁ではないのでしょう。

二葉亭四迷の碑

からゆきさんの墓が並ぶエリアの近くにあった、明治時代のロシア文学家、翻訳家、小説家であった二葉亭四迷の碑。
傍らの説明板に、「この石碑は墓ではない。」と書かれていました。
1909(明治42)年、朝日新聞特派員として赴任していたロシア・ペテルブルグで重い感冒を患い、帰国するために乗っていた日本郵船の「加茂丸」の船中にてインド洋上で5月10日に客死。
「加茂丸」は5月13日にシンガポールに入港し、四迷の遺体は埠頭近くのパシルパンジャンという小山で荼毘に付されました。遺骨は日本の遺族の元に届けられましたが、終焉の地ということで、この日本人墓地に碑が置かれることになったとのこと。

谷豊の顕彰碑

こちらは、昭和初期に「マレーの虎」と呼ばれた谷豊(たにゆたか)の顕彰碑。
福岡県出身で2歳の時に一家でイギリス領マレーに移住。満州事変の勃発に怒った華僑暴徒に異母妹が惨殺された事を機にマレーの友人達と華僑を主に襲う盗賊団を組織、「ハリマオ」として知られるようになりました。
マレー半島を転々としながら活動し、太平洋戦争が始まると日本軍に協力して諜報活動に従事しましたが、マラリアに罹患し、1942(昭和17)年3月に30歳の若さで死亡。
没後に埋葬されたと伝えられる墓地は現存せず、ここには顕彰碑があるのみです。
1960(昭和35)年に作製されたテレビドラマ『怪傑ハリマオ』のモデルとなったことで有名なのですが、最近では知らない人の方が多いのでしょうね。

日本人墓地遠景

この他にも、有名、無名を問わずたくさんの墓標が並んでいました。
シンガポールの歴史の中でそれぞれに人生を歩んだ人々が眠る墓地、なかなかに感慨深いものがありました。



328 Katong Laksa


加東ラクサ

日本人墓地公園に続いて、昼食はシンガポールの国民的麺料理「ラクサ」を食べるために、石田君がKATONG(カトン)地区にある「328 Katong Laksa」へ連れてきてくれました。
カトンは、中国、マレー、ヨーロッパの文化をミックスさせた独特の「プラナカン文化」が色濃く残る場所で、ラクサの発祥の地とも言われています。

メニュー表

店の奥にあるカウンターの上に掲げられたメニュー板を見ると、ラクサがメインで、サイドオーダーがちょこちょこ。

ラクサとオタ

オーダーしたのは、ラクサのSmall(S$5.5)とオタ(S$1.40)。
オタ(Otak)は、魚のすり身にタピオカ澱粉とスパイスを混ぜて、バナナの皮に包んで焼き上げた料理で、主にインドネシア、マレーシア、シンガポールで食べられています。

ラクサとオタ

ラクサの方は、海老と貝のこくのあるスープに唐辛子の辛み、をれをココナッツミルクの甘さとまろやかさが包み込む、調和の取れた味。
辛さはマイルドで、チリソースが別袋で付いてきましたが、噂に寄ればこれが超激辛とか。使わずに持ち帰ったので、いずれ何かの料理に使ってみようかと思います。

麺は、中太の米粉麺が短く切ってあって、箸ではなくレンゲで食べるようになっていました。カトンのラクサは、短い麺が特徴のようです。


ラクサ自体は宮崎でも食べたことがあるのですが、本場の味はこれが初めて。なかなかに美味しくて、さすがにシンガポールを代表する麺料理だけのことはあります。




「その10 セントーサ島〜虎豹別墅」に続く
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「その7 人生最高の朝食!?」から続く。

Kranji Beach Buttle Site (クランジビーチ戦場跡)


Kranji Beach

Bollywood Vegiesを後にして、来た道を引き返し、シンガポールの北にあるKranji Dam(クランジダム)の横の「Kranji Beach Buttle Site」へ。

ジョホール海峡

目の前の海は、マレーシアとシンガポールを隔てるジョホール海峡で、対岸はマレーシア南端の都市Johor Bahru(ジョホールバル)。
狭い水道で波も無いので、泳いで渡れそうななくらい。

記念碑

ここは、1942(昭和17)年2月8日に、イギリスの植民地だったシンガポールの占領を目標として、マレー半島を南下してきた日本軍がゴムボートでこの海峡を渡り、守備隊のオーストラリア軍と戦闘になった場所。
それを記録し祈念するためのモニュメントが建てられていました。



Kranji War Memorial (クランジ戦没者記念碑)


Kranji War Memorial

続いて、「Kranji Beach Buttle Site」から車で5分ほどの場所にある「Kranji War Memorial」へ。

Kranji War Cemetery

入口の石版には、「Kranji War Cemetery」と書かれていましたので、墓地公園になっているようです。

Googleで調べてみたら、1942年から1945年にかけての日本占領時のほか、第二次世界大戦中に東南アジアの他の地域で亡くなった連合軍の兵士が埋葬されている墓地とのこと。

緑の丘の上にモニュメント

入口からなだらかに上る丘の上にモニュメントがあり、そこへ到る緑の道の両側に、墓標が並んでいます。

緑の丘の上にモニュメント

この墓地には4,461人が埋葬されているそうですが、そのうち850人以上は身元がわかっていないのだとか。
墓碑に書かれた年齢を見ると、20代の若者が大半でした。戦争の最前線で戦い亡くなるのは、常に若者ですね。



Former Ford Factory (旧フォード工場)


Former Ford Factory

続いて向かったのは、「Former Ford Factory (旧フォード工場)」。

その名のとおり、1941年に開設されたフォードの自動車工場だったところですが、1942年に日本軍がシンガポールを占領した際、日本軍を率いてた山下泰文第25軍司令官が、イギリス軍司令官のアーサー・パーシバル陸軍中将に対して「イエスかノーか」と降伏を迫ったという逸話が残る場所です。

現在は、内部が改装されて、「National Archives of Singapore(シンガポール国立公文書館)」により、第二次世界大戦時の資料を展示する歴史資料館となっています。

降伏交渉が行われたテーブル

降伏交渉が行われた部屋とテーブルも、このとおり残されていました。

降伏交渉の写真と絵

当時の模様を伝える写真と絵もありました。

この後シンガポールは、大英帝国の植民地から日本軍が支配する「昭南島(しょうなんとう)」となり、1945(昭和20)年9月12日に現地で日本軍が降伏文書に署名するまでの約3年半、日本による統治が行われました。

この間に使われた日本語の教科書やバナナマネーと呼ばれた日本政庁発行のドル札など、興味深い資料がたくさん展示されていました。



東南アジアの地で第二次世界大戦(太平洋戦争)関連の史跡を訪ねることは、日本人として面映ゆく、なんとなく居心地の悪い感情を抱きます。
しかし、日本の侵略戦争として犠牲者も多かった反面、イギリスなど欧米の列強各国からアジアの植民地が独立する契機ともなり、当時の日本政庁により整備されたインフラや制度がその後の独立に役立ったりしたことも事実であり、現在のアジア各国と日本の立ち位置がどこから来たのかを知っておくためには、こうした史跡や資料館から目を背けること無く、しっかり見ておくことが必要だと感じました。
現地2日間という濃密な日程の中で、あえて案内してくれた石田君に深謝です。

「その9 その9 日本人墓地公園〜ラクサで昼食」に続く
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「その6 夕食@Zion Riverside Food Centre」から続く。

シンガポール2日目の朝、ゆっくり目に起きてシャワーを浴び、出かける用意を調えたら、石田君の車でシンガポールの北西部に向けて出発。

野菜とかを作っている農園があって、そこで朝食が食べられるというので、一路そこへ向かいます。
日曜の朝ということもあり、途中、たくさんのサイクリストと出会いました。シンガポールのセレブの間でもロードバイクでのツーリングがブームのようです。

 

Bollywood Vegies


Poison Ivy Bistro

到着したのが、「Bollywood Vegies」



「Poison Ivy Bistro」というレストランがあり、屋外にもテーブルと椅子が並べられていました。



自転車用のラックもあり、私たちが着いた時には、ツーリングの一団が先客として食事中でした。
市街地からここまで走って、朝食を食べてまた走るというのは、なかなか良さそうです。
宮崎もバイシクルツーリズムを目指すのであれば、こうした朝食が食べられる郊外のレストランを仕掛けるのも面白いのではないかと思います。


絶品の「Nasi Lemak Platter」




外のテーブルに陣取ったら、石田君のオススメのままに「Nasi Lemak Platter」を注文。
Nasi Lemak(ナシレマ)というのは、マレーシア料理で、ココナッツミルクで炊いたご飯のことを指します。
こちらのナシレマは、Butterfly Pea(チョウマメ)の花で青く色が付けられていました。

Platterは、そのナシレマに、フライドチキン、インゲンの炒め物、揚げたピーナッツ、素揚げのいりこ、揚げた野菜、酢漬けのキャベツ、錦糸卵みたいなもの、えびせんべい、サンバルソースなんかが盛り合わせれています。
別皿にナシレマを取り、盛り合わされたいろんなものをお好みでそこに混ぜて、ぐちゃぐちゃにして食べるのですが、これが激ウマ!
味と香り、食感が重層的になって、思わず笑みがこぼれてきます。
私至上最高の朝ご飯と言ってもおかしくないくらいの美味しさでした。

観光農園




朝食を食べ終わったら、その奥にある観光農園をちょっと散策。
パンフレットを見ると、ガイドツアーなどもあるみたいでしたが、今回は時間も無いので、適当に歩き回りました。
園内には、果樹を中心に食用の植物がいろいろと植えられていました。
目に付いたものをちょっとご紹介しましょう。



一番たくさん植えられていたのは、バナナ。
一口にバナナと言っても、生食用から調理用までたくさん種類があります。
「バナナの木」と言いますが、実は樹木ではなくて草本なんですよね。なので、野菜は果物ではなくて野菜なんだとか。



この大きな果実は、「ジャックフルーツ」。
日本語だと「パラミツ(波羅蜜)」。世界最大の果実と言われてるらしく、かなり大きくなります。
私はまだ食べたことが無く、この旅行でも食べる機会がありませんでしたが、かなり甘いらしいです。



この赤い実は、コーヒーチェリー。
1個の実の中に、おなじみのコーヒー豆が2個入っています。
シンガポールの隣国のマレーシアやインドネシアは、コーヒー豆の産地のひとつ。
こちらのホーカーとかでコーヒーを頼む時は、「Kopi(コピ)」をいただく訳ですが、Kopiはデフォルトでは加糖練乳が入っていてとても甘いミルクコーヒーなのだとか。
ブラックコーヒーが飲みたい場合は、「Kopi O Kosong (コピ オー コソン)」と言わなければならないそうで、朝食のナシレマと一緒に頼んだコーヒーは「Kopi O Kosong」でした。
ちなみに、甘くないミルクコーヒーは「Kopi C Kosong」、ミルクを入れない甘いコーヒーは「Kopi O」と、なかなか複雑です。



この太めの幹から直接成っている実は、カカオ。
この中に、チョコレートの原料となるカカオ豆が入っています。
写真では見たことがありましたが、実物は初めて見ました。



卵形の実が鈴なりに成っているのは、これも初めて見る果実。
幹の方に「Kedongdong」という表示がありました。「ケドンドン」と読むみたいです。
マレーシアでよく見られる果実で、マンゴーと同じウルシ科の植物だそうですが、マンゴーのようには甘くなく、完熟してもやや酸味があるのだとか。
いや〜、まだまだ知らない果物が多いですね。



この表面に斑点がたくさんある実は、これもお初の「Noni(ノニ)」。
インドネシアに多い植物で、日本では「ヤエヤマアオキ」と呼ばれ、沖縄でも栽培されているらしいですが、実物は初めてです。
ノニジュースとか健康食品として売られているみたいですが、まだ味わったことがありません。どんな味がするんでしょうね。



そして、散策の最後で出会った青い花は、ナシレマの着色に使われていた青い花ではありませんか。
根本に、「Double Petal Blue Pea Vine」と書かれた札がありました。
調べてみると、「蝶豆(Butterfly Pea)」というマメ科の植物で、花の絞り汁を染料として使うのだそうです。

園内は結構広くて、初めて出会う植物もたくさんあり、結構楽しめました。
しかし、蚊が多いので、行かれる方は虫除けスプレーをお持ちになった方がよろしいかと思います。



ということで、大満足の朝食と食後の散策が終わって、次なる目的地へ。

「その8 戦争の記憶を訪ねる旅」へ続く。
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「その5 肉骨茶〜アラブ・ストリート〜チャイナタウン」から続く。

北海道強し


混沌のチャイナタウンからバスに乗っていったん石田君のマンションに戻り、夕食時になるのを待って、今度は徒歩で近くのホーカーへ出かけました。

明治屋シンガポール2号店

その途中で寄った「Great World City」というショッピングセンターの地下に「明治屋」があり、その隣には、北海道の物産を扱う「北海道どさんこプラザ」がありました。
今年の6月27日にオープンした2号店らしいです。フードコートも併設されていました。

北海道どさんこプラザシンガポール2号店

さすがに北海道ブランドは強いですね。
特に南国シンガポールでは雪の降る北海道は人気ですし、海産物から農畜産物まで幅の広さと量の豊富さが飛び抜けているので、単体でアンテナショップが成立するのもよくわかります。

宮崎程度が単県で太刀打ちできる相手ではありませんが、九州でひとつになれば、可能性は無くもないかなと思ったところでした。
「どさんこプラザ」は明治屋と組んでいるみたいなので(1号店も明治屋の中に出店)、どことアライアンスするかも大事なのでしょうけどね。


Zion Riverside Food Centre


Zion Riverside Food Centre

さて、目的のホーカーは、「Great World City」の通り向かい、シンガポール川のほとりにありました。
「Zion Riverside Food Centre」というホーカーで、中央部を除いて屋根はありますが開放的で、川沿いなので夜風が吹き抜けて涼しい感じ。
土曜の夜だったからか、アマチュアバンドの演奏みたいなのも行われておりました。

席を確保したら、二手に分かれて飲み物や食べ物を頼みに行きました。

石田君と乾杯

Tiger Beerで石田君と乾杯。
空心菜の炒め物を席まで配達しにきてくれたお姉さんに撮影をお願いしました。

サテ

屋台料理の定番、「サテ」。串焼きですね。
ここのサテ屋さんは、人気で列ができているし、頼んでから焼き始めるので時間がかかるため、焼き上がったら店頭の電工表示板にオーダーナンバーが表示されるようになっていて、それを見て取りに行くようになっていました。

チキンとマトンの2種類で、少し甘めの味付けですが、お好みで小皿のピーナッツソースを付けて食べます。
これがまたビールと合うんですよね。

蛙肉と野菜の炒め物

こちらは、「蛙肉と野菜の炒め物」。
朝の市場で見たカエルは、こんな感じの料理になって消費されていきます。
蛙肉そのものは、鶏肉に似て淡泊でクセも無く、そう言われなければわからないと思います。

空心菜のサンバル炒め

これまた東南アジアでは定番の「空心菜のサンバル炒め」。
「サンバル」は、インドネシア料理やマレーシア料理でよく使われるチリソースで、トウガラシやニンニク、エビのペーストなどから作られています。
味は店によって違いますが、激辛ではなくて、旨辛な感じですね。
空心菜のシャキシャキした食感が楽しい一品。

麺料理

麺料理食べたくて適当に頼んだやつ。
店の写真を撮り忘れたので、いったい何という名前だったのか思い出せません。
卵麺でやや甘めの焼きそばみたいな感じでした。

この他にもいろいろ食べたかったのですが、年のせいかあまり量を食べられなくなっているので、ここでの料理は以上でした。
Tigerビールの後、ギネスも飲んで、いい気分になって石田君のマンションまで歩いて帰りました。




この日は、ほとんど眠れないままシンガポールに着き、早朝からあちこち巡って3万歩以上歩いて結構疲れていたので、早々に床に着いて、ぐっすり眠りました。
こうして、弾丸ツアーのシンガポール1日目が終わりました。

「その7 人生最高の朝食!?」に続く。
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