徒然日記 - 最新エントリー

著者には申し訳ないが、本屋の話なのに、kindle版を購入して通勤電車の中でスマホで読んだ『仕事で大切なことはすべて尼崎の小さな本屋で学んだ』(川上徹也著、ポプラ社)。

それでも著者は、同級生のよしみで許してくれるだろうと思います。
そう、著者の川上徹也氏とは、大学で同級だったんです。
その当時は、彼が大手広告会社に勤め、ブランディングの大家になって本をたくさん書くことになり、挙げ句の果てには我が故郷の高校生を相手に商品開発の指導をしてくれるなんて思いもしなかったのですが、縁は異なもの不思議なものですね。
今月、彼が指導した高校生達が、私の勤める新宿の店で、開発した商品の販売体験をやるはずだったのですが、緊急事態宣言を受けて延期になってしまいました。
久しぶりに川上氏と会えると思っていたのに残念です。

そんなことより本書、出版取次大手「大販」(モデルは東販かと思ったら、著者が違うよというので、それな日販かな)の新入社員・大森理香の成長譚を縦糸として、著者が別の本のための取材で出会った兵庫県尼崎市に実在する書店「小林書店」の小林由美子さんが語るストーリーを横糸に、フィクションとノンフィクションがうまく融合された構成になっています。

展開されるのは出版取次と書店の世界での話ですが、いきなり本屋の由美子さんが傘を売る話から始まり、由美子さんの話の中に人の心を動かすためのノウハウが詰まっていて、書店に限らず様々なビジネスシーンに共通することが満載です。

タイトルのとおりここには、「仕事で大切なこと」の学びが織り込まれています。
特に、久しぶりに食品小売りの現場に戻った私には、改めて学び直す良い機会となりましたし、手軽で読みやすいので、スタッフ教育にも適した一冊だと思いました。
川上君、今回も良い本をありがとう。
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チャーシューとキャベツのキムチ炒め on ラ王醤油

久しぶりに土曜のランチを料理。妻と息子の分を入れて3人分。

ストッカーに「日清ラ王 醤油」があったので、野菜系をトッピングしたラーメンを作ることにして冷蔵庫を覗いたら、ハムみたいなチャーシューをスライスしたやつと賞味期限の近いキムチが入っていて、野菜室にキャベツがあったので、まずはフライパンでチャーシューとキャベツのキムチ炒めを作りました。

平行して、ゆで卵を8分茹でで。半熟よりやや完熟寄りの茹で加減にしたかったので。

鍋に湯を沸かしてラ王の麺を投入したら、付属のスープを丼にあけ、麺の茹で上がり直前に熱湯で伸ばして、茹で上がった麺を泳がせます。

その上から、チャーシューとキャベツのキムチ炒めと2つに切った茹で玉子をのせ、刻みネギを散らしたら出来上がり!

冬の寒い日には、唐辛子のピリッとした辛さと、キムチの複雑な旨味が加わったこういうラーメンがいいですね。
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なんか日々慌ただしくてブログの更新を怠ったまま、2021年を迎えてしまいました。今年は、もう少し余裕を作って更新できるようにして行きたいと思います。

さて、新年早々の更新は、昨年末に読了した『食の歴史―人類はこれまで何を食べてきたのか』(ジャック・アタリ著、プレジデント社)

ジャック・アタリ氏と言えば、フランスの経済学者、思想家、作家であり、1981年にミッテラン大統領の特別顧問となって以降、現在のマクロン大統領までフランスの政治運営にも深く関わる知識人。現代の知の巨人の一人と言えるでしょう。

そんな博覧強記のアタリ氏が、人類がその誕生から現在に至るまで、食べるという行為とどのように関わり、どのように変容を遂げてきたのか、そして未来への予測・提言を、古今東西の膨大な資料を分析して解き明かしたのが本書。巻末の参考文献一覧だけでも凄いです。

「ホモ・サピエンスが言語を習得できたのは、火を利用して食べるようになったから」であり、食と言語は密接な関係にあり、食が言語の発展を促し、食事の場=宴は社交の場として権力者の語り場となり、ついには食べるという行為は副次的なことにすぎないところまで行ってしまいます。
そして19世紀以降、食に対する欲求の高まりとともに工業化が進展し、社会もそれに応じて変遷して行くことになります。

本書は、人類の歴史の中で社会の変容と食との関係を、事実に基づきながらわかりやすく説き起こしてくれます。

そして、富裕層と貧困層の分断が進む現代、飢餓の問題や食糧の生産が起因となる地球環境の破壊などの課題に触れつつ、30年後の世界がどうなっていくのかを予言して行きます。

アタリ氏が描き出す世界は決して明るいものではなく、最悪で悲惨な未来も予言されますが、その未来を避けることができる手段も提示されます。

詳しくは本書を読んでいただければ幸いですが、自分たちの食を知ることがいかに大事なことであるかを教えてくれます。
フードアナリストとしての必読書のリストに、本書を是非とも加えていただきたいと思う次第であり、フードアナリストに限らず、食に関心のある方にはお薦めしたい一冊です。☆☆☆☆☆
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ブログ書くの久しぶり。
何かと忙しくて、気がついたら、3ヶ月近くも開いてしまってました。反省。

さて、宮崎単身赴任中は「日曜拉麺」シリーズを書いていたんですが、東京(千葉)に戻ってからは、日曜が仕事で週休日は火曜と土曜となり、家でラーメン作るのは専ら土曜なので、これからは「土曜拉麺」シリーズに衣替えですね。

豚ミンチ

今日は、妻が息子を連れて訓練に出かけたので、帰ってくるまでに昼食の準備しておこうと冷蔵庫を覗いたら、豚ミンチが中途半端に残ってました。

これを使わない手は無いので、玉ねぎをみじんに刻んで、ニンニクと生姜もみじん切りにして、オリーブオイルを熱したフライパンへ。

豚ミンチ

玉ねぎがきつね色に炒まったら、豚ミンチを加えて炒め、味噌、みりん、砂糖、日本酒にラー油と柚子胡椒を加えて肉味噌を作ります。

分量は適当なんですが、玉ねぎ半分に豚ミンチ100g、ニンニクとしょうがはひとかけ、味噌大さじ2、みりん大さじ1、砂糖小さじ2、日本酒大さじ1、ラー油小さじ1/2、柚子胡椒小さじ1くらいだったかな。

調味料は少なめに入れて、途中でちょっと味見して、足りなければ加えてあげる感じにしておけば、濃すぎて失敗ということはありません。

肉味噌完成したら、野菜の準備。
細めの長ネギが冷蔵庫にあったので、細かく1本を刻みました。
それから、使いかけのカット野菜も冷蔵庫で発見したので、これも使いましょう。

続いて、麺を茹でます。大きめの鍋で3人分をまとめて。
今回使ったのは、「日清ラ王 醤油」。我が家の定番ストック袋麺です。
付属のスープのは、丼に入れておいて、別途湧かしておいた熱湯で、麺が茹で上がる30秒前くらいに伸ばしておきます。

麺が茹で上がったらざるでしっかり湯切りして、小分けしながら丼のスープのなかに泳がせます。

豚ミンチ

麺を投入したら、カット野菜を盛り、その上に作っておいたピリ辛肉味噌を載せ、周囲に刻んだネギを散らして出来上がり!

肉味噌を崩しながらいただくと、ベースの醤油味のスープに味噌や肉のうま味が加わり、ピリ辛の刺激が食欲をほどよく増進させてくれます。

一気に完食して、心と体もぽっかぽか。
今回も我ながら上出来の一杯となりました!
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心が震える名作−『ありふれた祈り』

カテゴリ : 
読書
執筆 : 
Dice 2020-8-22 11:00
気がつけば、1年ぶりの読書記録。
東京に戻ってきて、ドアtoドアで1時間余りの電車通勤となったので、もっと読めるかと思っていましたが、なかなかどっこい、そんなに思ったようには読めませんでした。まだ、立ったまま鞄から本を取り出して読む技が身についていません。
それでも、なんとか読み終えたのが、ウィリアム・ケント・クルーガー著『ありふれた祈り』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

著者は、私の大好きなミステリー、コーク・オコナー・シリーズの作者で、同シリーズは既刊14作のうちまだ半分の7作しか邦訳されておらず、それも2014年以降途切れてしまっているので、続編の邦訳を首を長くして待ち望んでいるところです。

本書は、そのシリーズとは無縁の長編ですが、ミネソタ州の田舎町を舞台とし、ネイティブ・アメリカン(本書ではインディアンと表記)の登場人物もいる点で、共通点もあります。

物語は、1961年の夏、ミネソタ州ニューブレーメンに住む牧師一家に起こる喪失と再生を縦糸として、様々な登場人物達の生き様が織り込まれています。
人が殺され、その犯人は誰なのかを解き明かすフーダニット(Who done it?)がひとつの筋である点で立派なミステリー作品ですが、一家に属する主人公フランクとジェイクという兄弟のひと夏の成長譚でもあり、牧師の父を中心として、宗教や信仰とは何なのか、「赦す」ということはどういうことなのかを説く物語としても読むことができる、重層的な構成になっています。

ミステリーファンなら、後半に展開されるフーダニットの部分は容易に想像が付くので物足りなさがあるかもしれませんが、それを補って余りある人物造形とストーリー展開にページをめくる手が止まりませんでした。

何よりも、理不尽な死を乗り越えようとする牧師の父と芸術肌の妻、兄フランクと弟ジェイクのそれぞれの葛藤、怒り、抑制といった心の動きが織りなす後半の物語が、最後の一文、
「今ならその意味がわかる。死者はわたしたちからそんなに遠くないところにいるのだ。彼らはわたしたちの心の中に、意識の上にいつもいる。とどのつまり。彼らとわたしたちをへだてているのは、ほんのひと息、最後の一呼吸にすぎない。」
へと収斂して行く展開は、読み進めるほどに心が震えました。


2014年に刊行された本書は、エドガー賞長編賞、アンソニー賞長編賞、マカヴィティ賞長編賞、バリー賞長編賞とミステリー関連の賞を総なめにしており、邦訳刊行された2016年には国内でも高い評価を得ています。

遅ればせながら今回初めて読んで、ますますウィリアム・ケント・クルーガーの未訳分を早く読みたくなりました。☆☆☆☆☆。
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今、図書館関係者の間で話題の映画、『パブリック 図書館の奇跡』を、仕事帰りに新宿の「新宿武蔵野館」で観てきました。

アメリカ・オハイオ州のシンシナティにある公共図書館を舞台に、大寒波の夜に緊急避難のシェルターとして図書館に立てこもったホームレス達と、それに巻き込まれた図書館員達の物語です。

監督・主演を努めるエミリオ・エステベスが、ある公共図書館の元副理事がロサンゼルス・タイムズに寄稿したエッセイにインスピレーションを得て、11年もの年月をかけて作り上げたこの映画、図書館が舞台なので、アメリカに限らず日本も含めて、公共図書館が抱える極めて現代的な課題が描かれます。

しかし、この映画の真の主題は「図書館」ではなくて、タイトルにある「パブリック」の部分にあります。
「パブリック(public)」とは、「公衆」「大衆」といった人々の集合体を指すと共に、「公の」「公共の」「公的な」といった意味があります。
たくさんの人々が集まる場では、必ず、それぞれの個人が持つ価値観の対立があり、それらの価値観のどれを優先させるのかという選択を迫られることが少なくありません。
その選択の連続の末に、「社会」という枠組みを作り上げていく営みが政治であったり、行政であったりする訳です。

こっちの価値観を取り、こっちの価値観を捨てるという選択の場面では、どちらかが正しく、どちらかが正しくない(間違っている)という単純な二者択一ではなく、どちらも間違ってはいないが、この場面では最大多数の最大幸福という功利主義的な観点から、こちらの道を取らざるを得ないみたいなことが少なくありません。
その時、一方の価値観を単純に否定して切り捨てるのではなく、その価値観に対して違う機会になったとしても別の救済策を示せるのかどうか、いったんは切り捨てられることになる少数派や弱者に寄り添えるのかどうかが課題となるでしょう。

コメディタッチで気楽に観られる映画ですが、爽快なエンディングの後に、そういうことを考えさせる深みと広がりを持っています。
それ故に、最初は限られた上映館が次第に広がって行っているのだろうなと思います。

図書館関係者に限らず、多くの方に、特に公務員など「公共」の仕事に携わっている方に観ていただきたい映画です。
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新宿日記(3)−宮崎を愛するYouTuberとの出会い

カテゴリ : 
KONNE
執筆 : 
Dice 2020-7-25 9:43
先日、事務所で仕事をしていたら、店のスタッフから電話がありました。
「今、有名なYoutuberの人が来ていて、店の中を撮影したいということなんですけど、来てもらえませんか!?」と。

有名なYoutuberってヒカキンしか知らんぞと思いつつ、状況がよくわからないままに、とりあえず店に向かうことにしました。
昔は店の2階に事務所もあったのですが、2年前に2階フロアがレストランに改装された関係で、今の事務所は店から徒歩で3分ほどの所にあるビルの6階に移っています。

店に向かいながら、どう対応するかを考えていました。
選択肢は、受けるか受けないかの2つしかありません。
マスメディアの取材は、本来なら、事前に連絡を貰って撮影の趣旨を書いた企画書をもらい、店の大家さんにも事前連絡を入れて了解を得た上で、撮影に立ち会うのがルール。

今回は、飛び込みでの撮影依頼なので、ルールを理由に断ることも可能。
しかし、Youtuberということは、既にカメラが回っている可能性もあり、断れば断られたことをネタに映像が作られることも考えられます。
そのネガティブなデメリットよりも、引き受けた上で、なるべく印象の良い画を作ってもらって、店を宣伝してもらった方がはるかに得策だろうと。店までの3分の間に整理しました。

腹をくくって店の前まで来たら、カメラを持ったそれらしき人がいたので、
「お待たせして申し訳ありません。」
と声をかけると、
「私は撮影なので、本人は中にいます。」
と返されました。

カメラ担当が別にいるなんて本格的と思いながら店の中に入ると、電話をくれたスタッフが、
「奥にいらっしゃいます。」
と案内してくれました。

そこで出会ったのが、「まっちゃん」こと松浦智史さん。
Fann Channelという、フォロワーが2.8万人いる美容系のチャンネルを持つYouTuberでした。
うちのスタッフも、美容系の情報でまっちゃんのことを知っていて、動画を見たことがあるらしい。

早速その場で名刺交換して趣旨を伺うと、松浦さんは宮崎県出身で、宮崎を応援するチャンネルを新しく作ろうとしていて、その最初として、新宿みやざき館KONNEからスタートしたいとのこと。

明るく元気でやたら声が大きいな、というのが第一印象でしたが、悪い人では無さそうなので、撮影にOK出して館内をご案内することにしました。
「僕、けっこういじりますけど、大丈夫ですか?」
と聞かれましたが、これまで、ろんなメディアのカメラの前に立っていて、アドリブも慣れてはいるので、
「大丈夫です!」
とお答えして、撮影スタート。

1階が終わったら、経営が別になっている2階のレストラン「宮崎風土くわんね」に一緒に上がって撮影交渉し、こちらでも一緒に画撮り。

そうして、最終的に公開されたYouTube動画がこちら。



終盤の12分過ぎくらいに、まっちゃんに、
「このあと、日高さんが怒られたりしません?」
とか心配されていますが、
「そう思うなら、ちゃんとアポ取って来いよ!」
という返しではなくて、
「しょうがないですね。」
と答えているのが、偽らざる心情。もう腹括ってますからね。

この映像を視て、一人でも多くの方に店のことを知って貰って、その中から一人でも実際に来店して買い物や食事をしていただける人が出てくれば儲けもんじゃないですか。
タダで宣伝して貰ってる訳ですから。

ということで、まっちゃん、ご来館ありがとうございました。
できれば、この後も時々取材に来ていただけることを期待しています。
でも、次回からはアポ入れてくださいね。
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前稿の公開後、これまた我が焼酎の師の一人、小田原在住の稲葉さんから、下記のとおり新たな情報をいただきました。

「私は、焼酎が夏の季語になったのは、江戸時代における『本直し』の位置付けによるものではないかと理解してきました。
本直しは、みりんに焼酎を割ったもので、江戸時代には暑気ばらいの代表的な飲みものとして認識されていました。」

『本直し』、またまた私にとって未知の言葉が出てきましたが、なかなか興味深い内容なので、調べてみることにしました。

まずは、Googleで「本直し みりん」で検索かけてみると、Wikipediaを筆頭に、みりん屋さんのサイト、日本酒の蔵元のサイト、食文化関係のサイトなどいろいろと出てきますので、ざっと見て概要をおさらい。

「本直し」は、「柳蔭」とも呼ばれていたことがわかりましたが、俳句の世界で「柳陰」という言葉は、春の季語になっています。

上方落語の「青菜」という演目に「柳蔭」が登場するというので、まずは「青菜」を聞いてみることにしました。
YouTubeで探すと、いろんな噺家さんが演じてらっしゃいますが、まずは故・五代目柳家小さんから。



旦那さんが植木屋さんに振る舞うのが、大阪の友人からいただいた「柳蔭」で、江戸っ子の植木屋さんは「これは『直し』というものでは?」と問うやり取りが、冒頭の部分で語られます。

もともとこの演目、上方落語のものということなので、大阪の噺家を代表して、私の大好きな噺家で若くして亡くなった、故・2代目桂枝雀のものも聞いてみましょう。



枝雀45歳、最盛期の語り口、最高ですね。
「柳蔭」は、暑い盛りに暑気払いとして井戸で冷たく冷やして飲むもので、みりんが入っているということがわかります。

みりんは元々、蒸したもち米に米麹を混ぜ、焼酎を加えて熟成させ、圧搾、濾過して造られたもので、アルコール度数14%前後の甘みの強い飲料として親しまれていました。
それが、次第に料理に用いられるようになって、今では調味料としての用途の方が主流になっていますが、本みりんを実際に飲んでみると、なかなかに美味しく、その甘い飲み口は、食前酒などに向いているのではないかと思います。

ただ、さすがに糖度が高くたくさんは飲めないので、これに焼酎を加えて糖度を下げて飲みやすくした「柳蔭」や「本直し(直し)」が、江戸時代には庶民の間でも飲まれていたということなのでしょう。

調査を進めて行くと、江戸時代末期の文化7(1810)年に大坂で生まれた喜田川守貞(季荘)が著した近世風俗書『守貞謾稿』に、本直しが夏に飲まれていたという記述があるらしいことがわかったので、またもや国立国会図書館のデジタルコレクションのお世話になって、『守貞謾稿』を片っ端からめくってみました。

『守貞謾稿. 後集巻1』

すると、最後の方の『守貞謾稿. 後集巻1』の18コマ目のところに、
「京坂夏月には夏銘酒柳蔭と云ふを専用す
江戸は本直しと号し味琳と焼酎を大略これを半ばに合わせ用ふ
「ホンナホシ」「ヤナギカケ」、ともに冷酒にて飲むなり」
と書かれている部分を発見しました。

確かに江戸時代末期には、「柳蔭」あるいは「本直し」が、夏の暑い時期に冷やして飲まれていたことは確かなようです。

この記述に続いて、「焼酎」についての記載があり、そこには、
「酒粕に籾を交へ蒸し」
とあって、当時の焼酎が前稿(下)で與さんに教えていただいた粕取焼酎であったことがわかります。

夏の時季に飲まれていたのは、「焼酎」が先なのか、「柳蔭(本直し)」が先なのかはよくわかりませんが、製造の歴史からすると、やはり「粕取焼酎」が季語の元になったという説の方が有力ではないかと思われます。

柳蔭


それはさておき、未知なる「柳蔭(本直し)」は、一度飲んでおかねばなりません。
本味醂と粕取焼酎を購入して、自分で半々に割って作る手もありますが、それだだと高くつきそうだったので、白扇酒造さんのサイトで、製品として出されている『柳蔭』を購入してみました。
この白扇酒造さん、本みりんも造られている醸造会社なので、間違いないでしょう。

柳蔭

後日届いた『柳蔭』を冷蔵庫でよく冷やして飲んでみると、すっきりとした甘さで口当たりが良く、グビグビと飲めてしまいます。
日本酒とも焼酎とも違う味わいですが、ストレートで飲ると、アルコール度数が20度もありますので、早々に酔っ払ってしまいそうです。
確かに、暑い夏の夕方に、食前酒として飲むには良さそうです。

これでまた、酒の世界の知見が広がりました。
稲葉さん、ご教示ありがとうございました。
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から続く。

「和漢三才図会」があてにならないとわかって、それでは何故、「焼酎」が夏の季語となったのかを調べるため、リニューアルしたばかりの浦安市立図書館中央館に行って、季語事典みたいな本を片っ端からめくってみました。

しかし、「焼酎」について記載のある本の中でも、「暑気払いとして飲まれている」程度のことしか書かれておらず、大した成果は得られませんでした。

そこに、我が焼酎の師の一人、宮崎市在住の與さんから、

「季語の焼酎っておそらく清酒圏における粕取り焼酎なのかもしれないですね。根拠はありませんw。
一部の農村部で粕取りを盛んに飲むのがサナブリから夏にかけてなんですよね。論拠はそれだけですw。」

と、耳寄りな情報が届きました。

詳しくは、與さんの書かれた「Dr.けんじの粕取焼酎概論」という素晴らしい論考をお読みいただければと思いますが、清酒粕を蒸留して造る「粕取焼酎」は、特に福岡県の北九州地方のものが名高く、「早苗饗(さなぶり)焼酎」と呼ばれて、田植えを終えた後の祝いの宴で振る舞われ、よく飲まれたということのようです。

kscz58ynkさんによる写真ACからの写真:早乙女

宮崎では、今でこそ超早場米が主流で、多くの田植えは3月には終わってしまいますが、一般的に普通期米の田植えは5〜6月。まさに季節としては夏になります。
ちなみに、「早苗饗」も夏の季語のひとつです。

米から作られる日本酒を搾った後の酒粕には多くのアミノ酸が含まれており、肥料の原料として優秀ですが、そのままでは含まれるアルコール分が害になるので、蒸留してアルコール分を飛ばしてやる必要があります。
蒸留した後の下粕は冷まして米を作る田んぼの肥料に使い、その際にできる副産物を「粕取焼酎」として田の神に捧げ、自分たちでも飲むというのが、稲作農家で繰り返し行われてきたサイクルだったのでしょう。

もちろん、そうした粕取焼酎を飲むのは、田植えの後の「早苗饗」に限らず、そこを皮切りに、夏の間は労働後の暑気払いや様々な祝いの席などで飲まれたのでしょう。

明確に書かれた文献を見つけることはまだできていませんが、「焼酎」が夏の季語であるのは、そうした背景から来ているのではないかと想像できます。

kscz58ynkさんによる写真ACからの写真:早乙女

そうなると、この落合酒造(宮崎市)の純米酒粕焼酎「残心14%」なども、「夏焼酎」の列に加えた方が良いのかもしれませんね。
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テゲツー!夏焼酎の記事を校正する必要があって、俳句の世界では「焼酎」が夏の季語とされているのは何故かが気になったので、調べてみることにしました。

とりあえずGoogleで「焼酎 夏の季語」をキーワードに検索かけると、

「江戸時代の百科事典『和漢三才図会』によると「気味はなはだ辛烈にして、疲れを消し、積聚を抑へて、よく湿を防ぐ」と書かれています。要するに夏の暑さに疲れた身体に活を入れ、精力をよみがえらせる酒と位置づけられていたのでしょう。」

みたいな記述があちこちに見られます。

検索結果に似たような記述が多くて多様性が無いのは、冷や汁の鎌倉時代起源説と似ていて、何か怪しい予感がしたので、原典の『和漢三才図会』を確認してみることにしました。

『和漢三才図会』は、国立国会図書館のデジタルコレクションに中金堂1888年版が収録されていて、上之巻、中之巻、下之巻、総目録の4巻に分かれています。
そこで、いろは順に並んだ総目録をめくって「焼酎」の項目がどこにあるかを探したところ、下之巻の1786頁にあることがわかったので、下之巻に移動して当該頁を探し出しました。



上記の画像(クリックすると別ウィンドウで大きな画像が表示されます)がその焼酎の頁ですが、当該部分は最後の方にあって、
「気味甚辛烈而消痞抑積聚能防濕」(返り点省略)
と記されています。

『角川大字源』や『広辞苑 第5版』などで個々の漢字の意味を調べてみると
「痞」は「つかえ」で、疲れではなくて、「腹中に塊のようなものがあって痛む病気。胸や心のふさがること。」という意味、
「積聚」は「しゃくじゅ」で「さしこみ。癇癪。」、
「濕」は「湿」の異体字で「しつ、とう、しゅう」などと読み「しめる。うるおう。うれえる。気を落とす。」などといった意味があります。

これらから察するに、
「焼酎は胸のつかえを消し、癇癪を押さえ、じめじめとした陰鬱な気分を防ぐ」
と解すべきで、気分を晴れやかにするものではあるけれど、「疲れを取る」とは読めないのではないかと考えます。

また、同じ焼酎の項の前の方に、
「北人四時飲之 南人止暑月飲之」(返り点省略)
と書かれていますが、これは、
「北人は四時(しじ)之を飲み、南人は止(ただ)暑月に之を飲む」
と読み、
「北の方の人は一年中これ(焼酎)を飲んでいるが、南の方の人は暑い季節だけこれを飲む」
と解せます。
日本では、焼酎は専ら九州以南の飲み物なので、何か変だなと思って更に調べていたら、中国の明時代の文献『本草綱目』(1593年上梓)の「焼酒」の綱目に同様に
「北人四時飲之 南人止暑月飲之」
という記述があることがわかりました。

中国で焼酒とも呼ばれる白酒などの蒸留酒は、主に東北部で愛飲されているので、中国のことと考えれば整合が取れます。



念のため、『本草綱目』第25巻の原本を国立国会図書館のデジタルコレクションで確認してみましたが、どうも、『和漢三才図会』の焼酎の項目は、『本草綱目』のそれを殆どそのまま引き写しているようです。

ということで、焼酎が夏の季語であることの理由付けに『和漢三才図会』を持って来るのは、少し無理があるようです。

誰かが間違った解釈で書いた物がインターネットに乗り、以降、特に検証もされずに引用、孫引きを繰り返されているようです。
皆様、ご注意あれ。

この話、長くなるので2回に分けます。
(下)へ続く。
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