徒然日記 - 最新エントリー



久々に時間の取れた週休日、浦安市立図書館は相変わらず書架への立入や調査閲覧席の利用ができないため調べ物はできず、浦安総合運動公園のプールも閉まっているのでスイミングもできずで、仕方なくシネマイクスピアリで映画を観ることにしました。
数あるラインナップの中から選んだのは、ジョニー・デップ主演で話題の映画『MINAMATA −ミナマタ−』
石牟礼道子の『苦海浄土』を読んだのは中学の頃だったでしょうか。宮崎の隣県・熊本の歴史でもあり、今観るべき映画はこれしか無いかなと思った次第。

日曜日ということもあって、イクスピアリはそれなりの人出でしたが、11時10分から上映された『MINAMATA −ミナマタ−』の客入りは20名ほどだったでしょうか。コロナ下とはいえ、なかなか厳しいなと思いました。
これがジョニー・デップ主演でなければ、もっと少なかったかもしれません。

日本の四大公害病のひとつである水俣病は、日本窒素肥料株式会社(チッソ)が無処理のまま水俣湾に垂れ流した工場排水に含まれていた有機水銀による中毒症で、今なお症状に苦しむ人がいる一方で、公害対策は進み、1997年に熊本県知事が水俣湾の安全宣言を出して漁業も再開されたので、若い世代を中心に次第にその記憶が薄れていっている現実があるのは否めません。

熊本県、特に水俣市にとっては黒歴史ですから、忘れたい、蒸し返して欲しくない、そっとしておいて欲しいという感情があるのも事実で、この映画の撮影や公開に当たっての地元(特に行政サイド)の反応には、どちらかと言うと上記の感情の反映が強くあったように伝わってきています。

そうした地元感情は、この映画の主人公であるユージン・スミスが水俣の地を訪れた時にもあり、公害の被害については知って欲しいけど、自分や家族のことは表に出したくないという患者やその家族を前に、ユージンがどのようにその壁を乗り越えて行ったのかがこの映画の骨子としてあります。
決して聖人君子ではなく、フォトジャーナリストとして傷を抱え、家族を失って自棄的になっていたユージンの、喪失からの再生の物語としても読めるでしょう。

誰もが世界に向けた情報を発信することが可能な現代と違って、1枚の写真とそれを掲載するメディアが大きな力を盛っていた時代に、千の言葉にも勝る写真の力を信じるカメラマン、編集者、被写体となる人々の強い思いが伝わってきます。

決して後味の良い映画ではありません。映画は終わっても、水俣病の苦しみはなお続いており、エンドロールで世界中で同様の苦しみが繰り返されていることが示されます。
この悲劇を繰り返してはならない、そういう思いが、ジョニー・デップをしてこの映画を製作させ主演させたのでしょう。

受け止め方は様々にあると思いますが、私のようにこの映画が描いたのと同じ時代を生きてきた者ばかりではなく、若い世代にこそこの映画を観て欲しいと思いました。
人間がいかに愚かであるかを知るために。そして、その愚かさを乗り越えるために。
  • コメント (0)
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (4756)




久しぶりの日曜拉麺。
ベースの麺は、ストッカーにあったマルちゃん正麺味噌味。

冷蔵庫に、もやし一袋と生卵と魚肉ソーセージ、九条ネギの切れ端があったので、まずは半熟のゆで卵を作り、もやしのひげ根を取ったら魚肉ソーセージと一緒に炒め、九条ネギを刻んでおきます。

マルちゃん正麺の麺を茹でている間に、丼に付属の液体スープを入れて熱湯でのばしてスープを作っておき、茹で上がった麺のお湯を切ったら、丼のスープに泳がせ、作っておいた具材をトッピングしたらできあがり。

お好みでラー油を垂らすと最高!

  • コメント (0)
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (5357)




セブングレインパスタ

「世界があこがれる九州をつくる。」をコンセプトに、九州の豊かな農業資源やものづくりの伝統技術を生かして地域ブランドの創造を行っている(株)九州アイランド(本社:宮崎市高岡町)の製品のひとつに、九州7県から小麦、発芽玄米、もちきび、胚芽押麦、黒米、赤米、うるち米という7種類の穀類を集め、島原手延べそうめんの手法で作られた「セブングレインパスタ」があります。

茹で上がりは薄いグレイ色で、一見すると蕎麦みたいですが、モチモチとした食感で、麺自体にしっかりと味のある美味しいパスタです。

以前から、これは白の冷や汁に合うだろうなと思っていたので、試しに白の冷や汁ベースの冷製パスタを作ってみることにしました。

今回は、向栄食品工業の冷や汁の素を使いました。
スタンドパックでスクリューキャップが付いているので、小出しに使うのに便利なんですよ。冷凍庫に入れておけば長期保存も効くのでおすすめ。

セブングレインパスタ

冷や汁の素を無調整の豆乳で溶き、ベースとなる白の冷や汁を作ってきんきんに冷やしておきます。
パスタ2人前で白の冷や汁1人前くらいの分量で良いでしょう。

セブングレインパスタのスパゲティを茹でている間に、きゅうり、みょうが、大葉をせん切りにしておきます。

パスタが茹で上がったら冷水で締め、白の冷や汁の中に投入してよく絡めます。

絡まったら皿に盛り、上からきゅうり、みょうが、大葉をトッピングしてできあがり。

食べるときに、お好みでラー油をかけるのも良いですよ。

簡単にできるので、冷や汁のアレンジメニューとして、是非お試しください。

  • コメント (0)
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (5440)




MACH9号にもともと付いていたハンドルグリップは、棒形の丸グリップでした。

丸グリップ

普段乗りならこれで十分ですが、これだと普通に握るだけになるので、長時間走るとどうしても手首が疲れてきてしまいます。

そこで、長時間走っても疲れにくいグリップに変更しようと、エルゴデザインのグリップで、バーエンドがブルホーン(牛角)になっているものを、いつものようにAmazonで探して、右のものを購入しました。

Deemount 自転車グリップ 牛角 ハンドルグリップ クロスバイク マウンテンバイク 握りやすい ソフトラバー【取付工具付き】」。

似たようなものは数多ありますが、カスタマー評価(話半分で受け取ってますが)もまあまあでしたし、この程度の値段なら失敗しても痛みが少ないので、折り合いをつけました。
取り付け工具は持っているのでいらないのですが、それだけ外すわけにもいかず。


届いた箱を開封

届いた箱を開封すると、こんな具合に収まってました。

箱の中身

中身を出して広げると、左右のグリップにそれぞれのエンドキャップ、3mmと4mmの六角レンチが各1本。
取り付けねじがグリップの両端にあって、それぞれ3mmと4mmのレンチで締めるようになっています。

左側交換

早速、元のグリップを外して、新しいグリップを取り付けてみました。
なかなか良い感じ。
幅広い部分に掌を乗せる感じで握れるますし、バーエンドのブルホーン部分を持つこともできて、走行中にポジションがいろいろ変えられるので、手の疲れ方がかなり軽減できると思います。

両側交換完了

両側とも交換完了。
マンションの廊下で作業したので背景がいまいちですが、他に作業する場所が無かったもので。

折り畳んだときに邪魔にならないか心配でしたが、なんとか干渉せずに折り畳むことができました。

後は、走りながら微妙な角度の調整をして、ポジションを確定させることにします。

  • コメント (0)
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (5485)




冷や汁エバンジェリストとして、冷や汁は世界的に受け入れられる料理だと信じているのですが、信じているだけでは何も進まないので、勝手に国際化プロジェクトを進めています。

これまで何度もご紹介している赤と白の冷や汁もその一環ですが、盛りつけも工夫してみると面白いのではないかと考え、フレンチ風に盛りつけてみることにしました。

まずは、フランス料理で使われるような白いスープ皿と、セルクル(円形の抜き型)を用意。

赤の冷や汁フレンチ風

向栄食品工業の冷や汁の素を無塩のトマトジュースで溶いて、赤の冷や汁(Hiyashiru di Rosso)を作っておきます。

もち麦入りのごはんをセルクルに詰め、その上からあられに切ったキュウリ、ほぐした木綿豆腐、みじん切りのみょうがと大葉を順に重ね、最後に輪切りのキュウリを飾り、赤の冷や汁を周りに流して、EXVオリーブオイルを回しかけました。

白の冷や汁フレンチ風

続いては、冷や汁の素を豆乳で溶いた、白の冷や汁(Hiyashiru di Bianco)バージョン。

器は、白が映えるように濃紺の皿を使いました。

盛りつけ方次第でがらりと雰囲気が変わりますよね。
こんな感じであれば、コース料理の中で出て来ても違和感は無いと思います。

赤と白のあいがけ

ついでに、カレー皿であいがけも作ってみました。
ご飯少なめに盛りましたが、赤と白はあいがけにすると美味しいんですよ。
  • コメント (0)
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (4986)




自転車に乗る時に、ワイヤーロックをどう携行するかが問題になります。
ちょい乗りの時に、そのためにショルダーバッグ持ち出すのも面倒ですし、他にも小物がちょこちょこあったりするので、サドルの下に取り付ける小さなサドルバッグを常備することにしました。

サドルバッグを装着した様子

amaonで検索して、あまたある中から、パンク修理キット、修理工具付きで2,980円というものにしました。ノーブランドの中国製ですね。
同じ物は現在品切れなので、商品リンクは今回ありません。

サドルバッグを開いたところ

サドルバッグの中身

通常は、こういうものを詰めています。
左上から時計回りに、ライト(CATEYE VOLT300)、裾バンド、パンク修理キット、修理工具、サイクリンググラブ。
パンク修理キットは、手持ちのものに、今回付いてきたパッチとタイヤレバーを加えました。
修理工具は、今回サドルバッグに付いてきたもので、六角レンチ主体のマルチツール。使うことは少ないと思いますが、持っているといざという時に安心。

中身を収納した様子

全部を収納するとこんな感じになります。けっこう満杯ですね。
乗っているときは、裾バンドとサイクリンググラブを出して、代わりにワイヤーロックが収まります。

普段使いはこんな感じで、遠出する際に荷物が多い場合は、もう少し容量の大きいバッグに変えることも要検討ですね。
  • コメント (0)
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (5123)




2018年から「冷や汁エバンジェリスト」として活動してきて、嬉しいことに最近は、冷や汁のことについて詳しい人ということでご紹介いただける機会が増えてきました。

メディアから宮崎県庁の関係部署に問合せが行き、そこから私を紹介いただくことが多いのですが、「冷や汁と言えばあの人!」って感じになってきているようでありがたいです。

以下、今シーズンのメディアへの登場を備忘録的にまとめておきます。

小学館『めばえ』2021年8月号


めばえ2021年8月号親用冊子記事

まずは、小学館『めばえ』2021年8月号(7月1日発行)に付録の親向け冊子。

6月2日付けの投稿でも撮影風景をご紹介しましたが、ライターさんと打合せして、比較的簡単に作れるレシピを提供し、撮影の後に記事にまとめていただきました。

冊子にはノーマルな冷や汁だけが掲載されていますが、Webサイトの方には、トマトジュースベースの「赤い冷や汁」と豆乳ベースの「白い冷や汁」も掲載されています。

おうちでご当地COOKING#5「宮崎県 冷や汁」

NHK福岡放送局「ロクいち!」


ロクいち!

続いては、NHK福岡放送局の夕方の報道番組「ロクいち!」
「お取り寄せで九州沖縄応援!」という、キャスターの中田理奈さんがお取り寄せした材料で料理を作るという企画で、6月16日(水)の放映で宮崎県の「冷や汁」が取り上げられたのでした。

事前にレシピを送っておいて、スタジオにいる中田さんとリモートで会話しながら調理指導をするという試みで、事前収録ではありましたが一発撮りということで、なかなかスリリングでした。
料理にはまだ慣れていない中田さんに、いかにうまく作ってもらえるか、こちら側からは手が出せず、言葉だけで誘導という難しさはありましたが、調理自体はさほど難しくないので、なんとかうまく行きました。

スタッフブログの中で中田さんから、
「最初は全く想像がついていなかったのですが、実際作ってみると本当に紅白冷や汁になりました。(笑)
そして、作りながら私は、“本当においしいのだろうか?”と疑ってしまいましたが・・・
すみません。侮っていたようです。
豆乳が入った白冷や汁は、まろやかでよくおみそとも合い、とても食べやすかったです!
また、トマトジュースが入った赤冷や汁は、さっぱりとしたトマトの酸味とおみその優しい甘さがマッチしていて、こちらもおいしかったです!
どちらも夏の食欲のないときでもさらさら食べられそうでした!」

というお言葉をいただきました。

福岡放送局の制作でしたが、長崎、佐賀、熊本、鹿児島でも後日放映されたそうです。

KBS京都ラジオ「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」


笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ

続いて、KBS京都ラジオで平日の朝に放送されている「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」という番組。
パーソナリティの笑福亭晃瓶さん、笑福亭鶴瓶師匠のお弟子さんだそうです。
その晃瓶さんとアシスタントの中村薫さんを相手に、質問に答える形で冷や汁の歴史や作り方などをお話しするというシナリオ。
もちろん、スタジオには行けないので、電話でおしゃべりする訳です。粗いシナリオはあるものの、シナリオどおりには行かないのが世の常。アドリブ力が問われます。

放送は8月6日(水)の8時10分頃からだったので、自宅で8時前からスマホ片手にスタンバって、本番を迎えました。

ラジオへの電話出演は過去に何度も経験しているので、緊張はしませんでしたが、電話だと互いの目が見えず相手との会話の間を測るのが難しいので、スムーズに話を繋ぐのは何度やっても難しいですね。
それでも、なんとか10分ほどのやり取りをこなしました。
京都の皆さんに冷や汁の魅力が伝わったら嬉しいのですが。


今のところ、今シーズンに冷や汁関係でメディアに登場したのはこの3本。
自主企画のイベント開催がなかなか難しい状況の中、こうして名前出して使っていただけるのはありがたいです。
まだまだオファーお待ちしていますので、お気軽にお声がけください。

それにしても、来シーズンこそは、冷や汁イベントをあちこちでやりたいものです。
  • コメント (0)
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (4935)




自転車で長距離を走る際に気をつけなければならないのは、こまめな水分補給です。
気温が低い時でも、それなりに着込んでペダル回していると意外なほどに汗をかくので、水分補給を怠ると脱水症状でヤバいことになってしまいます。
更に気温が上がってくると、熱中症で命の危険すらありますからね。

なので、長距離を走る際は、ドリンク入れた水筒やペットボトルの飲料を携帯するようにしています。
夏場なんかは、すぐに飲める状態のドリンクとは別に、冷凍庫で凍らせておいたペットボトルを2本とか携帯したこともあります。

今回、MACH9号にはボトルケージ(ドリンクホルダ)を取り付けたのですが、これは、海浜幕張の自転車屋さんのワゴンセールで110円で売られていた、アルミニウム製の簡単なやつで済ませました。

しかし、フレームに唯一用意された台座に取り付けてみたらかなり寝ていて、手持ちの水筒とかペットボトルだと走行中に振動で落ちてしまう心配があったので、ちゃんと自転車用の保冷ボトルを導入することにしました。

ある程度保冷性のあるもので、容量は大きい方が良いだろうということで、最終的にポチったのが、「ポラー 保冷ボトル ブレークアウェイ RIDGE 20oz BLU/SLV」

容量は20ozなので、約591mlですね。
中身入れたまま冷凍庫で凍らせることも可能みたいですが、その場合は、フルに入れずに半分だけ入れて、飲み口を上にして斜めに置いた状態で凍らせ、出走直前に残り半分の飲み物を足して行くと、すぐに飲めて、長時間冷えた状態がキープできるので良いです。
ただし、冷凍庫にそれなりのスペースが必要なので、今のうちの冷凍庫では無理そうw。


ボトルケージ装着状態全景

ボトルケージに装着してみたのが上の写真。
思っていたよりかなり長いので、前に引き出すとハンドルポストに当たります。
斜め横に持ち上げて外す感じになりますが、使ってみた感じ、特に問題はありません。

飲み口を上から

飲み口を真上から見た状態です。
穴の中にシリコン製の弁があり、十字に切れ目が入っていて、ボトルを強く握ったり、口に加えて吸ったりすると切れ目が開いて中の液体が出てきます。
普通に逆さまにしたくらいで漏れることはありません。

飲み口のロック、左がロック状態、右がフリー状態

赤い飲み口を上下することで、ロック状態とフリー状態の切り替えになります。

左のロック状態から、飲み口を上に引き上げればフリー状態になり、飲み口を下にしてボトルを握ったり吸ったりすることで中の液体が出て来ます。

走行中に飲む時は、飲み口をくわえて、歯で少し噛んでボトルを引く感じでロックを外し、飲み終わったら逆に押し込んでロックをかけてケージに戻す感じですね。

中身がどれくらい入っているかにもよりますが、ちょっと強めに握らないと出てこないので、握力が弱い女性とかは少々辛いかも。
そういう時は無理せずに、停まってから両手で握れば大丈夫だと思いますが。

蓋を外したところ

蓋を外すと開口が大きいので、冷蔵庫で作った氷を入れるのも楽ですし、使った後に洗うのも楽。
長さがあるので、スポンジを菜箸か何かで奥まで突っ込んで優しく洗ってあげる必要はありますが。

飲み口も分解できる

赤い飲み口の部分は、引き上げながらひねると外れるます。
使っていると、どうしてもこういう部分に茶渋みたいなのが付いたり、場合によってはかびたりするので、分解できてきれいに洗えるのは嬉しいところです。

冷蔵庫で作った氷を満杯にいれて冷やしたお茶を注ぎ、外に持ち出して使ってみましたが、2時間は氷もまだ残っていました。
ちょこっと走るには、これ1本で十分ですね。コンビニが途中にあれば、冷たい飲み物補給しながら長距離も走れそう。
しかし、コンビニの無い河川敷のサイクリングロードを長距離走るときなどは、もう1本ボトルを携行したいところなのですが、MACH9号にはこれ以上ボトルケージを取り付ける場所が無いので、どうするか悩みどころですね。
サイクルジャージのポケットに入れるの手もありですが、よほど気合い入れないと着ないし、体温で温まりそうでなんとも。
  • コメント (0)
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (4873)




29万の雫

昨日、赤坂レッドシアターで、『29万の雫ーウィルスと闘うー』という舞台を観てきました。
この舞台は、2010年に宮崎県で発生した口蹄疫をモチーフに、100人を超える当時の関係者にインタビューを行い、その証言を台詞に落とし込んで構成されるドキュメンタリー・シアターという手法で制作されています。

2010年、私は今と同じ新宿のアンテナショップで働いていました。
口蹄疫の発生の報を聞いたときは、すぐにその10年前の2000年に宮崎市で発生した口蹄疫のことを思い出しました。
その頃は農政関係の部署に所属していたので、動員がかかって現場近くの国道で行われた車両の消毒ポイントでの夜間消毒に従事しましたが、幸いにして3戸の被害で留まり、2週間ほどで終息し、私の夜間出動も1回で済んだのでした。
2010年の時も、最初はさほど深刻には考えていませんでしたが、日に日に感染が拡大していく様子が伝えられ、県庁職員が総動員態勢で殺処分の現場に繰り返し投入される様子を知るにつれて、戦力として役に立つことができないもどかしさや、自分だけ高見の見物状態でいることの後ろめたさみたいなものを感じていました。

しかし、それと同時に、現場に立たなくて済む安堵感を感じていたのも事実です。
殺処分の現場は、それ以前に宮崎で起こった鶏インフルエンザの際に経験していましたので、その厳しさはある程度わかっていました。
それでもこの時の現場は、牛や豚という鶏よりも大きな動物が相手であり、被災の規模、軒数も格段に大きかったので、その過酷さは私の経験を遙かに上回るものだったのですが。

当時、メディアも現場には入れず、取材ソースも限られていたこともあったのでしょうが、遠く離れた東京に伝えられる情報は断片的でだったので、Twitterや関係者のブログなどで情報を収集し、何が起こっているのかを知ろうと努めました。
そこには、悲しみ、とまどい、怒り、不満、恨み、絶望、焦り、疲労など様々な感情が渦を巻いていました。
現場と政治の距離感、隔絶や断絶と言っても良いかも知れないその果てしない距離感の中の様々な位置に立つ人々の思い。どれが正しいとか間違っているとか、簡単には判断できない、個人の立場に立ってみれば、その全てがその瞬間には正しいであろう思いを、私は東京から眺めることしかできませんでした。

この舞台は、そんな人々の渦巻く思いを、見事に2時間の枠の中で私たちに提示してくれました。
時おり落ちる涙無しには、最後まで観ることができませんでした。
それは、私の個人的な感情だけではなく、客席にいた多くの人々がそうだったのではないかと思います。
それほどに、台詞として語られる当時の関係者の言葉が、ストレートに私たちの心に響きました。
経験した者でなければ、その場にいた者にしかわからない、そういう思いは確かにありますが、そこに思いを馳せる経験を与えてくれる素晴らしい舞台でした。

この舞台は、2012年、2015年、2020年と宮崎県内で上演され、今回初めて東京での上演となったそうですが、その都度、新たなインタビューを行い、時代の変化に合わせて脚本の変更を行っているとのこと。
今回は、新型コロナ感染症に振り回される現在の日本の状況と当時の状況をオーバーラップさせ、未知のウィルスと闘うということがどういうことなのかを、改めて私たちに考えさせる内容になっていました。

アフターイベントに参加されていた宮崎県の河野俊嗣知事が、「県外でも演る意義がある。」「本来なら宮崎県がお金を付けてでも(現実にはなかなかできないけれど)、後援を後押ししたい。」と言われていたように、多くの皆さんに観ていただきたい舞台でした。
  • コメント (0)
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (4722)




ドキュメンタリー映画「塩月桃甫」

カテゴリ : 
映画
執筆 : 
Dice 2021-6-10 21:30


宮崎出身の画家で、約100年前に台湾に渡り、台湾美術界に多大な貢献をなした塩月桃甫。
そのドキュメンタリー映画「塩月桃甫」が完成して、各地で上映が行われることになり、東京(関東)では、6月6日(日)に大手町サンケイプラザで上映会が行われるということで、出かけることにしました。

本来、この日は宮崎出張の予定が入っていて、観に行けないなと思っていたのですが、コロナ禍の影響で出張がキャンセルになって行けることになり、問い合わせ先の一般社団法人台湾協会にメールしてみたところ、既に13時からの1回目は満席でしたが、15時からの2回目の席が確保できました。

脚本・監督は、蝶の画家としても有名な、延岡出身の気鋭のアーティスト小松孝英さん。
以前、日南市飫肥で開催されたDENKEN WEEKでお目にかかったことがありますが、当日は、会場にもお見えになっていました。

小松さんは、台湾で桃甫の名前を聞く機会が多く関心を持っていたところに、宮崎県児湯郡の骨董屋で桃甫の描いた台湾原住民族(先住民)の油絵(後に「ロボ」というタイトルと判明)に出会い、桃甫のことを調べるようになったとのこと。

桃甫が台湾に渡ったのは、1921(大正10)年。日本では大正デモクラシーが盛んになる時代ですが、そこから1945(昭和20)年の敗戦まで、桃甫は台湾を舞台に絵を描きつつ、美術教育に携わりました。

小松さんの関心は、台湾も次第に日本の戦時体制に組み込まれ皇民化教育が進む中で、画家として(あるいは教育者として)、どのように自らの「自由」を維持できたのかという点にあり、台湾や日本で桃甫を知るたくさんの人々にインタビューを重ねて行きます。

しかし、桃甫が訪台して既に100年。当時を直接知る人が次第に少なくなる中で、このドキュメンタリーの撮影は、本当に最後のチャンスだった気がします。

私も桃甫の絵は宮崎県立図書館で鑑賞したことがあり、その存在は知っていましたが、今回このドキュメンタリーを観ることで、初めて知ることがたくさんありました。
宮崎ガス(株)の塩月光夫会長が桃甫のお孫さんだったというのも驚き。

ところで、中村地平が宮崎県立図書館長だった時代、当時の図書館は昭和26(1951)年5月に増築工事が完了し、「花と絵のある図書館」と呼ばれたのですが、その会議室には塩月桃甫の絵が飾られていたという記録があります(その絵は、1959(昭和34)年に起きた県立図書館の火災で焼失したと思われます)。

その記録を見た時には、単に桃甫が宮崎在住の画家だったからだろうと軽く考えていたのですが、このドキュメンタリーで、地平が桃甫の台湾時代の教え子であり、桃甫が敗戦後に台湾から引き揚げてきて赤貧の生活を送っていた時代に、地平が支援の手を差し伸べていたということを知り、桃甫の絵が県立図書館にあった意味の重さが増した気がしました。

今後、宮崎や福岡で上映会が開催される予定(スケジュールは公式サイトで)ですので、たくさんの方に見ていただくのはもちろん、この映画自体を宮崎県立図書館でアーカイブして、桃甫の収蔵作品とともに展示して欲しいなと思う次第です。
 
  • コメント (0)
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (5769)




GoogleTranslator
ブログ カレンダー
« « 2023 3月 » »
26 27 28 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 1
アーカイブ
本の購入はこちらから
カテゴリ一覧
もう読んだ?


  
Copyright (C) 2006 Dice@hidice All Right Reserved.