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2005年 04月 02日 高鍋町立図書館創立50周年?

 本日付け宮崎日日新聞の児湯・西都面に、3月29日に行われた高鍋町立図書館創立50周年記念式典の様子を伝える記事掲載。
 記事によると、同館は1955(昭和30)年に県内では最初の図書館として開館、78(昭和53)年に現在の施設となった、とのこと。
 しかし、高鍋町史や県古公文書の記録から、高鍋町に最初に図書館ができたのは、1922(大正11)年であることが確認されている。
 高鍋町には、かつて高鍋秋月藩の藩校「明倫堂」があり、明治以降は島田小学や高鍋学校に所属していたが、児湯郡立農業学校創立後は同校の管理下に置かれていた。同校が1918(大正7)年に県立高鍋農学校となったため、翌1918(大正8)年4月に高鍋小学校内に図書室を設けて明倫堂の図書約1万5,000冊を移し、これが高鍋町立図書館の起源となって、1922(大正11)年4月19日に町立高鍋図書館の設立が県知事から認可されている。
 という訳で、高鍋町立図書館は創立83周年というのが正解でした。


2005年 04月 10日 息子の入学式

 息子の中学校の入学式が9日(土)に行われたので、金曜の夜から浦安に行き、今日の最終便で宮崎に戻る。

 土曜日は、天気も良く、ちょうど良い具合に桜が満開で、入学式には最適の日だった。
 事前に練習ができないので、どうなることかと不安だったが、案の定、きちんとはできず、隣の子に助けられながら、とりあえず無事に式は終了。
 この2年間、比較的自由に学校で過ごしてきたので、できなくなってしまったことも多いような気がする。障害がある故に進みが遅いことが、最初からできないとして切り捨てられてしまっている、そんなもどかしさを感じて、親としても辛い。
 学校の先生の方も大変なんだろうけど、優しさという仮面の下で甘やかすことなく、厳しく接して欲しいとお願いして帰る。

 今日は、息子と二人で散歩がてら浦安市立図書館(本館)へ行き、2時間ほど過ごして、満開の桜並木の下を歩いて帰り、夕方、舞浜まで車で送ってもらって羽田からSNAの最終便で宮崎へ。

 今回の旅のお供は、ディーン・R・クーンツ著「ウォッチャーズ(上)」(文春文庫)。


2005年 04月 11日 図書館雑誌2005年4月号

 「図書館雑誌」2005年4月号受領。今月の特集は、「これからの公立図書館の行方−指定管理者制度導入をめぐって」。指定管理者制度については、2004年6月号に続く特集であり、この問題が極めて現代的なテーマであることがわかる。
 これまでの図書館法の枠組みの中だけではなかなか進まなかった図書館サービスの向上が、指定管理者制度の導入という、社会(時代)からの要請に向き合うことで、どのように変わって行くのか、非常に気になるところ。
 これまで、どちらかと言うと否定的な論調ばかり目立っていた気がするが、この特集の中にある山中湖情報創造館における取り組みは、ひとつのモデルケースとして、参考になる所が大きい。3月16日付けの日記では、日本経済新聞掲載の同館に関する記事を基に感想を書いたが、確かに村との協定金額1,500万円、職員は1日6時間勤務の週休2日制ながら、図書館そのものは1日11時間30分開館、月1日のみの休館で、職員の有資格率78%の高率を誇っているという。自治体の経営で、果たしてここまでのサービスが可能なのかどうか。
 しかし、何にも増して肝心なのは、「人」なのだと痛感した。自治体の側に、「人」を選ぶ目がないと、そしてその場に選ばれるに値する「人」がいないと、何事もうまく行かないのかも知れない。


2005年 04月 16日 図書館ボランティア募集中

 本日付け宮崎日日新聞の県央面に、佐土原町図書館で図書館ボランティア募集中との記事掲載。
 ボランティアの活動期間は今月から12月28日までで、書架への本の返却・整理、本の修理などを行うとのこと。
 応募資格は高校生以上の町内在住者で、応募締切は4月20日。問い合わせは、佐土原町教育委員会の文化情報室へ。


2005年 04月 22日 忙しい

 4月に職場が変わり、忙しい職場であることと慣れないのとで残業も多く、ゆっくりものを考える余裕がない中、慌ただしく一日が過ぎて行く。
 妻からの要請もあって、娘の試合の支援のために月末には東京に行くことになり、航空チケットの手配。繁忙期なので運賃が高く、人の動きも多いので空席が少ないが、5月2日に仕事を休ませてもらうことにして、なんとかオンラインで手配を完了。
 続いて、18歳から会員を続けている日本図書館協会の年会費(9,000円)を郵便局で振り込み。同封されていた葉書に公共図書幹部会への登録と総会への欠席を記入して投函。
 仕事を途中で切り上げて、19時から市内某所で開催された∞の会の会合に出席。県内に4ヶ所もあることがわかった高レベル放射性廃棄物候補地の話で少しばかり盛り上がる。
 帰りに、栄養軒に寄ってWデラ(650円)で遅めの夕食。帰宅後に一連のWebチェックを終え、寝る前に会合の報告をメーリングリストにアップして、一日が終了。


2005年 04月 24日 「みやざきの自然」第8号

 朝からWeb版「みやざきの自然」の8号入力作業。毎月1号ずつアップがノルマなのだが、土日が基本的な作業日で、その土日も浦安に行ってたりするとできないで、なかなかノルマを果たすのも大変。
 何時間もぶっ続けに作業できるほどの集中力もないので、少しやっては合間にクリーニングを出しに行ったり、職場に新聞のチェックに行ったりしながら、結局夜中まで作業。ほぼ今月もノルマが果たせる目処がついた。
 しかしこのところ、図書館関係のコンテンツが何も進んでいないような…。


2005年 04月 26日 藤井誠君を悼む

 最初は、大学の同期生で作るメーリングリストへの投稿からだった。JR福知山線の脱線事故の犠牲者の中に、彼と同じ名前、年齢の人がいると。
 それから、同期生仲間がつてを頼って確認作業を続け、彼の勤務先までたどり着いて、残念ながら本人であることが確認された。この間、どうか人違いであって欲しいと願いながら、続報を待ち続けた級友達の願いはついに届かなかった。
 私が宮崎に就職したせいもあり、彼とは1984年の卒業以来、長く会うことはなかった。その後会ったのは、2001年11月30日、大学時代に住んでいた池田市石橋で、大学時代の仲間達と飲んだ席に彼もやってきた。
 当時と殆ど変わらぬ容姿に話しぶり。久しぶりの再会に話がはずみ、居酒屋を出た後、5人のメンバーで学生時代を過ごしたキャンパスを訪ね、クラブの部室のあった「ボックス」と呼ばれる建物の前でデジカメで写真を撮った。この夜のことは、同期生向けのWebサイトに写真入りで報告した。そして、その画像は、今も手元にある。
 これが、彼との最後の思い出になった。この時以外の彼のことは、殆ど何も知らない。しかし、同じ時代に同じ場所で青春を過ごした者として、記憶の端々に彼の姿は焼き付いており、その訃報に触れて、鮮やかに蘇る。
 おそらくは人災であろう惨事のために、志半ばで鬼籍に入らねばならなかった彼の無念と、遺された家族の悲しみを思うと、溢れる涙以外に、発すべき言葉を見つけることができない。ただひたすらに、冥福を祈ること、彼の存在をしっかると記憶に留めることしか、今の私にできることはない。どうか安らかに眠りたまえ。合掌。

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