高鍋クエスト

舞鶴城から太平洋を望む

テゲツー!で
「宮崎が舞台のNHK大河ドラマを作るなら主役はこの二人だ!!」
という記事の原稿を預かったのですが、構成するのに適当な写真が無かったので、撮影に行こうと高鍋に出かけたのが、1ヶ月前の三連休の中日だった1月13日(日)。

高鍋には職場があるのですが、駅とそこから徒歩10分の職場までの往復が殆どなので、町のことをよく知らないこともあり、ちょうど良い機会だと思った次第。

どうせならと、駅から徒歩で巡ってみることにしました。

舞鶴城(舞鶴神社)

まず向かったのは、舞鶴城址のある舞鶴公園。
往時の建物は既にありませんが、城郭はある程度残っています。

舞鶴神社

階段を上って右手にある、舞鶴神社にお詣り。
ここは、もともと城の二の丸があった場所で、1871(明治4)年の廃藩に当たり、高鍋藩政時代に応神天皇、菅原道真、漢高祖等別個に祀られていた神社をこの場所に合祀したのだそうです。

城壁の石積み

そこから上に上って行くと、当時のものであろう石積みがまだ残っていました。

秋月種茂公、上杉鷹山公兄弟の胸像

城を下りて、高鍋町美術館の前に設置されている、高鍋藩第七代藩主・秋月種茂公と、米沢藩第九代藩主・上杉鷹山公の胸像へ。
ともに名君とうたわれたこの兄弟の胸像の撮影が、今回のメインの目的なのでした。

高鍋農業高校東側のお堀

ひととおり撮影を終えて、高鍋農業高校の敷地の東側にあるお堀に沿って、市街地に戻ることにしました。
なかなか風情のある風景です。

高鍋城大手門跡

すると、お堀の途中にこんなものが。
ここに大手門があったということは、高鍋農業高校は、城址の中に建っているということになります。知りませんでした。
高鍋高校ではなくて、高鍋農業高校が、藩校明倫堂の遺勲を受け継いでいるのですね。

お堀の北東端

お堀の横の小径をずっと歩いて、北東の端までやってきました。
この石積みの構造も、なかなかいい雰囲気ですね。
この小径、ちょっとした散歩コースとして素晴らしいと思います。ここを毎日眺められる高鍋農業高校生が羨ましい。

大使館

ここまでずっと歩き詰めでちょっと疲れたのと、お昼過ぎてお腹も空いたので、近くにあった「大使館」というカフェレストランでカツカレーをいただきながら、小休止。

この後、どうしようか考えて、折角ここまで来たのだから、写真を撮影して記事を書く予定の秋月種茂(鶴山)公のお墓に参ってから帰ることにしました。

お墓のある「秋月墓地」をGoogleマップで探したら、それほど遠くなさそうだったので、さくっと終わると思ったのですが、それが大甘であったことが、後にわかるのでした。

まず、秋月墓地の入口がわからず、彷徨うこと30分。
ようやく秋月墓地にたどり着いたと思ったら、歴代藩主の墓は3カ所に分かれていて、それぞれがどこにあるのか探すのにまた一苦労。
行ったり来たりしながら、最後の最後にようやく種茂公のお墓に辿り着いたのでした。
最後の部分は、この旅で初お目見えのOSMO MOBILE2とiPhone Xで撮影して動画にまとめましたので、ご覧いただければ幸いです。

動画の編集にもちょっと苦労して、公開が遅くなってしまったのはご愛敬。
でもこれで、編集ソフトの使い方もなんとか理解できたので、つぎからはもう少し早く編集できそうです。”

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