今日は祖母の誕生日で、満百歳を迎えた。
めでたい話なので、親戚一同が集まって、お祝いの会が開かれた。
100年前がどんな時代だったかというと、飫肥出身の小村寿太郎がポーツマスでロシアとの講和条約を結んだのが1905年の9月。明治維新後の日本が大国への道を歩み、ひとつの成果を得たものの、国内経済が疲弊してきた頃である。
同じ1906年生まれにホンダの創業者・本田宗一郎、満州国最後の皇帝・愛新覚羅溥儀がいる。
夏目漱石が小説「坊ちゃん」を発表したのがこの年で、その中で延岡のことを「山の中も山の中で、人と猿が半々に住んでいるよう」と書いたりしている。
祖母の100年の前半は、時代の激動とともにあり、夫ともに台湾に渡り、敗戦で命からがら引き揚げ、若くして夫を海難事故で亡くし、女手一つで二人の子どもを育て上げた。その苦労は並大抵ではなかったと聞いている。
今日、晴れて百歳を迎え、孫としては誇りと感謝の気持ちでいっぱい。