涙無しには観られない舞台『29万の雫ーウィルスと闘うー』

29万の雫

昨日、赤坂レッドシアターで、『29万の雫ーウィルスと闘うー』という舞台を観てきました。
この舞台は、2010年に宮崎県で発生した口蹄疫をモチーフに、100人を超える当時の関係者にインタビューを行い、その証言を台詞に落とし込んで構成されるドキュメンタリー・シアターという手法で制作されています。

2010年、私は今と同じ新宿のアンテナショップで働いていました。
口蹄疫の発生の報を聞いたときは、すぐにその10年前の2000年に宮崎市で発生した口蹄疫のことを思い出しました。
その頃は農政関係の部署に所属していたので、動員がかかって現場近くの国道で行われた車両の消毒ポイントでの夜間消毒に従事しましたが、幸いにして3戸の被害で留まり、2週間ほどで終息し、私の夜間出動も1回で済んだのでした。
2010年の時も、最初はさほど深刻には考えていませんでしたが、日に日に感染が拡大していく様子が伝えられ、県庁職員が総動員態勢で殺処分の現場に繰り返し投入される様子を知るにつれて、戦力として役に立つことができないもどかしさや、自分だけ高見の見物状態でいることの後ろめたさみたいなものを感じていました。

しかし、それと同時に、現場に立たなくて済む安堵感を感じていたのも事実です。
殺処分の現場は、それ以前に宮崎で起こった鶏インフルエンザの際に経験していましたので、その厳しさはある程度わかっていました。
それでもこの時の現場は、牛や豚という鶏よりも大きな動物が相手であり、被災の規模、軒数も格段に大きかったので、その過酷さは私の経験を遙かに上回るものだったのですが。

当時、メディアも現場には入れず、取材ソースも限られていたこともあったのでしょうが、遠く離れた東京に伝えられる情報は断片的でだったので、Twitterや関係者のブログなどで情報を収集し、何が起こっているのかを知ろうと努めました。
そこには、悲しみ、とまどい、怒り、不満、恨み、絶望、焦り、疲労など様々な感情が渦を巻いていました。
現場と政治の距離感、隔絶や断絶と言っても良いかも知れないその果てしない距離感の中の様々な位置に立つ人々の思い。どれが正しいとか間違っているとか、簡単には判断できない、個人の立場に立ってみれば、その全てがその瞬間には正しいであろう思いを、私は東京から眺めることしかできませんでした。

この舞台は、そんな人々の渦巻く思いを、見事に2時間の枠の中で私たちに提示してくれました。
時おり落ちる涙無しには、最後まで観ることができませんでした。
それは、私の個人的な感情だけではなく、客席にいた多くの人々がそうだったのではないかと思います。
それほどに、台詞として語られる当時の関係者の言葉が、ストレートに私たちの心に響きました。
経験した者でなければ、その場にいた者にしかわからない、そういう思いは確かにありますが、そこに思いを馳せる経験を与えてくれる素晴らしい舞台でした。

この舞台は、2012年、2015年、2020年と宮崎県内で上演され、今回初めて東京での上演となったそうですが、その都度、新たなインタビューを行い、時代の変化に合わせて脚本の変更を行っているとのこと。
今回は、新型コロナ感染症に振り回される現在の日本の状況と当時の状況をオーバーラップさせ、未知のウィルスと闘うということがどういうことなのかを、改めて私たちに考えさせる内容になっていました。

アフターイベントに参加されていた宮崎県の河野俊嗣知事が、「県外でも演る意義がある。」「本来なら宮崎県がお金を付けてでも(現実にはなかなかできないけれど)、後援を後押ししたい。」と言われていたように、多くの皆さんに観ていただきたい舞台でした。

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