早朝、父からの電話で祖母の訃報を受ける。
入院中と聞いていたので、来週出張で帰った時に見舞いに行くつもりだったのだが、間に合わなかった。休みを取ってでも帰ればよかったのだが、後悔先に立たず。残念でならない。
祖母は1906(明治39)年2月生まれの102歳。もう十分に生きたと言えるだろう。
終戦時に台湾から引き揚げてきた後、若くして連れ合いを亡くし、女でひとつで二人の娘を育てあげた。相当に苦労をしたのだとひとづてに聞かされたが、本人から苦労話など聞いたことはなかった。
晩年、次女(つまり私の母)と同居し、平和が丘で40年ほどを過ごした。
パートで働いていた母に代わって家事を行い、私に料理や大工仕事などいろんなことを教えてくれた。
鉈の使い方など、この祖母がいなかったらマスターすることもなかっただろう。そのお陰で高校時代は、近くの山に竹を伐り出しに行き、鉈で割った竹を材料に大くす玉作ったりできたのだった。
とりあえず何でも自分でできるようにという私の生活の基本は、この祖母の薫陶を受けたものだ。
私にとっての「西の魔女」が死んだ。
明日、宮崎に戻って通夜と葬儀に参列をする。100歳から寝たきりとなり、102歳の大往生なので、哀しみは深くはないけれど、どこか心にぽっかりと穴の空いたような、そんな気がしている。
ばあちゃん、ありがとう。安らかに眠ってください。