悪はどこから産まれるのか - 映画「JOKER」

ブレイブ・ブロッサムズがスコットランド代表に勝利して決勝トーナメント進出を決めた夜、宮崎セントラルシネマのラストショーで、映画「JOKER」を観てきました。

間違いなく名作ですが、ある意味危険性を帯びた、観る人によっては負のインパクトを与えかねない映画でもあります。

ジョーカー(JOKER)は、アメコミのヒーローバットマン(BATMAN)の敵役で、過去にバットマンが映画化された際も様々な役者がJOKERを演じています。

記憶に新しいところでは、『ダークナイト(Dark Night』(2008年)の際のヒース・レジャー。この時の演技はまさに怪演という言葉にふさわしく、鬼気迫るものがありました。
残念ながらヒース・レジャーは、この役を演じた後、オーバードースで亡くなってしまいました。
全身全霊をJOKERという役に捧げ、JOKERの呪縛から逃れられなくなってしまったのかもしれません。

そして今回、JOKERを演じているのは、ホアキン・フェニックス。故リバー・フェニックス(1993年にオーバードースで死亡)の弟ですな。
この役のために20kg以上減量して臨んだということですが、これがまた怪演。
正常と異常、正気と狂気の狭間にある男の怯え、苦悩、幻想、憤怒、解放といった心の襞々のところを見事に演じきっています。アカデミー主演男優賞候補になるのは間違いないでしょう。ひょっとするとオスカー獲るかも。

この映画、バットマンのプロットを借りてはいますが、バットマン映画ではありません。スピンオフ作品ともちと違う。
閉塞した社会の底辺でもがきながら生きる人々の虚無感、富める人と持たざる人の対比、澱のように溜まっていく社会や権力への不満などを描きつつ、そこから殻を破るため破壊的衝動=悪が産まれていく様を描いた映画だと言えるでしょう。

それと、銃器の持つ絶対的な暴力性も。
銃を手にすることで、善良だったはずの人間が暴力性を持ちうることを教えてくれます。銃の持つ力は、麻薬と同じなのかもしれません。

今、観るべき映画なのは間違いありませんが、決して後味の良い映画ではありませんし、承認欲求が満たされずに不満を抱え込んでいる人が観ると、その不満を爆発させるトリガーを引いてしまいかねない怖さがあります。
特に銃器社会アメリカではその懸念が強いので、注意喚起を行っている劇場もあるとか。

飼い慣らされた羊ばかりになった今の日本では、逆にこれくらいの刺激は必要なのかもしれませんけどね。破壊的衝動の矛先が弱者に向かわなければ。”

Translate »