健気にも(続 鍵と錠)

もうすぐ17時になろうかという頃、職場にいた私の携帯が鳴った。
出てみると、
「パーソナルアシスタンスともの○○です。今、とものケアルームに桐人君がみえているんですが、ケアの予定は無かったですよね?」
とのこと。

「とも」は、障害者の活動支援を行っている団体で、息子が浦安に転居してきた直後からお世話になっていて、今も、毎週、外出する際には付き添いのためのスタッフが来てくれている。
「ケアルーム」というのは、その「とも」の施設内にある部屋で、一時的に障害者を預かってくれて、専属スタッフがついて面倒をみてくれるサービスを提供している。
我が家からは、息子の足では優に30分以上かかる距離にあり、だいぶ以前に利用したことはあるが、少なくともここ2年ほどは、息子は行ったことはないはずである。

その電話を受けた時、私は、息子が誰もいない家に帰るのが嫌で、好きなビデオを思う存分視たりできる「とも」に遊びに行ったのかなと思った。「しょうがないな~。でも、一人で家にいるのにも飽きたのかな。」と。

突然、息子の来訪を受けた「とも」のスタッフは、電話口で、「どうしましょうか?。今、スタッフの手が空いているので、このままケアルームでケアすることもできますし、移動支援で自宅まで一緒に帰ることもできますが。」と言う。
障害者自立支援法ができてから、社会福祉法人に変わった「とも」では、単に知っている子が遊びに来たという対応は取れないので、きちんと介助サービスとして提供しなければならないし、それには当然に自己負担が発生しますよ、という訳だ。

状況がよくわからないので、いろいろと考えた挙げ句、とりあえず移動支援で家まで送り届けてもらうことにした。
そして、妻に、簡単に携帯メールを打った。私に電話が来たということは、「とも」から妻にうまく連絡が取れなかったということで、妻は仕事中で携帯を手元に置いてなかったのだろうと思ったのだ。
17時になれば妻の仕事が終わり、メールを見た妻が対応してくれるだろう。

17時47分に妻から携帯に、息子が無事に帰ってきたと、電話があった。特に変わった様子もなく、落ち着いていると。
そして、私の仕事が終わり、22時過ぎに家に帰って、ことの顛末を知らされることになる。

家に帰り着いた私は、妻から息子が使っていた鍵を見せられた。
それは、途中から90度近くねじれて、使えなくなっていた。

妻が言うには、キーカバーがずれて最後まで差し込めなくなった鍵で、息子はなんとか錠を開けようとしたのだろう、ずいぶん長い時間、ドアの前で格闘したのかもしれない、と。

結局錠が開かないと悟った息子は、意を決して、「とも」に向かったのだ。
自分を知っていて、いつも自分を助けてくれるスタッフがいて、とりあえず避難できる場所として、息子は「とも」を選び、不自由な足で、懸命に30分以上の道を歩いたのだ。
その途中には、いつもスクールバスを待つ障害者福祉センターや、泊まったこともある一時ケアセンター、昨春まで通っていた中学校、卒業した小学校もあるが、そのいずれでもなく、「とも」を目指した。健気にも、賢い選択である。
幸いにして、雨はまだ降っていなかった。

「とも」に着いても、息子は鍵のことは誰にも言っていない。何故ここにきたのかを、息子は自分の口からは説明できていない。
他人とうまく会話できないのが、息子の最たる障害である。特に、感情を伝えることは難しい。

普通の子なら、鍵が開かなかった憤懣、家を留守にしている親への怒り、そんなものが口をついて出てもおかしくないはずだが、息子は何も言わないし、行動でも示さない。

それでも、危機的な状況に陥った時、息子は、誰が自分を助けてくれるのかを考えることができて、きちんと行動することができた。
なんとか歩いていける距離に「とも」があったこと、雨が降っていなかったことは大いに幸いしたが、息子の判断の正しさを、妻と私は大いに褒め、息子の成長を喜んだ。

そして次の日、健気な息子は、またしても学校帰りに一人で「とも」に行ってしまった。
今度はちゃんと連絡を受けた妻が、息子を車で迎えに行ったら、その車には乗らずに、一人で歩いて帰ったという。やっぱり何か不満なんだろうか?思春期だから?

うまくコミュニケートできない息子との、手探りのコミュニケーションは、これからも続いて行く。

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