地平忌

 明日2月26日は何の日かと聞かれて、「二二六事件」の日と答えられる人も少なくなってきているのではないかと思うが、私にとってこの日は「地平忌」、中村地平の命日として強く記憶されている。
 中村地平って誰?という人は、ググってWikipediaでも確認して欲しいが、Wikipediaの記述も全てが正しいとは限らないので、宮崎県庁のサイトの中にある「みやざきの101人」へのリンクも貼っておく。

中村地平-Wikipedia

中村地平-みやざきの101人

 読んでいただけただろうか?。小説家としての名声は、残念ながら井伏門下の三羽烏として並び称された太宰治には及ばないものの、戦後宮崎の文化の振興に極めて大きな役割を果たした人物であり、多方面での活躍の中でも、私は特に1947(昭和22)年から1957(昭和32)年までの宮崎県立図書館長としての功績を高く評価している。

 日本十進分類法による図書の整理、増改築に伴う文化ホールの新設、臨海文庫・農村文庫などの貸出文庫や自動車文庫「やまびこ」の開設、参考係の新設など、今につながる図書館サービスが確立されたのは、この中村館長の時代であり、今は絶えてしまっているが、図書館に専門職である司書を積極的に採用したのもこの時代であった。

 館長を辞した後、父親の後を継いで宮崎相互銀行(現・宮崎太陽銀行)の社長を務めたが、その一年後には体調を崩し、1963年2月26日に心臓麻痺のために没。宮崎にしては珍しく雪の降る日であったという。

 「地平忌」はその中村地平を惜しんで設けられたが、毎年2月26日ではなくて、その前後の土曜日に宮崎市・市民の森にある記念碑の前で行われていたと記憶していたので、最近はどのようになっているのかを知りたくてWebを渉猟してみたけど、よくわからなかった。
 その過程で2008(平成20)年11月1日(土)に宮崎県立図書館で「中村地平生誕百年記念講演会」が開催され、当時を知る元図書館職員によって「県立図書館長中村地平について」という座談会が行われたという情報を得たので、その記録が残っていないか県立図書館に問い合わせてみたが、残念ながら無いという回答だった。
 自らの栄光の時代の記憶を記録に残す折角のチャンスだったはずなのに、その意識が当時の図書館になかったことは実に残念。
 主催した岡林稔先生に問い合わせするしかないのかな。

 ともあれ明日は、偉大なる図書館の先輩に想いを馳せ、我が身を戒めることとしよう。

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