心が震える名作-『ありふれた祈り』

気がつけば、1年ぶりの読書記録。
東京に戻ってきて、ドアtoドアで1時間余りの電車通勤となったので、もっと読めるかと思っていましたが、なかなかどっこい、そんなに思ったようには読めませんでした。まだ、立ったまま鞄から本を取り出して読む技が身についていません。

『ありふれた祈り』書影

それでも、なんとか読み終えたのが、ウィリアム・ケント・クルーガー著『ありふれた祈り』(ハヤカワ・ミステリ文庫)

著者は、私の大好きなミステリー、コーク・オコナー・シリーズの作者で、同シリーズは既刊14作のうちまだ半分の7作しか邦訳されておらず、それも2014年以降途切れてしまっているので、続編の邦訳を首を長くして待ち望んでいるところです。

本書は、そのシリーズとは無縁の長編ですが、ミネソタ州の田舎町を舞台とし、ネイティブ・アメリカン(本書ではインディアンと表記)の登場人物もいる点で、共通点もあります。

物語は、1961年の夏、ミネソタ州ニューブレーメンに住む牧師一家に起こる喪失と再生を縦糸として、様々な登場人物達の生き様が織り込まれています。
人が殺され、その犯人は誰なのかを解き明かすフーダニット(Who done it?)がひとつの筋である点で立派なミステリー作品ですが、一家に属する主人公フランクとジェイクという兄弟のひと夏の成長譚でもあり、牧師の父を中心として、宗教や信仰とは何なのか、「赦す」ということはどういうことなのかを説く物語としても読むことができる、重層的な構成になっています。

ミステリーファンなら、後半に展開されるフーダニットの部分は容易に想像が付くので物足りなさがあるかもしれませんが、それを補って余りある人物造形とストーリー展開にページをめくる手が止まりませんでした。

何よりも、理不尽な死を乗り越えようとする牧師の父と芸術肌の妻、兄フランクと弟ジェイクのそれぞれの葛藤、怒り、抑制といった心の動きが織りなす後半の物語が、最後の一文、
「今ならその意味がわかる。死者はわたしたちからそんなに遠くないところにいるのだ。彼らはわたしたちの心の中に、意識の上にいつもいる。とどのつまり。彼らとわたしたちをへだてているのは、ほんのひと息、最後の一呼吸にすぎない。」
へと収斂して行く展開は、読み進めるほどに心が震えました。

2014年に刊行された本書は、エドガー賞長編賞、アンソニー賞長編賞、マカヴィティ賞長編賞、バリー賞長編賞とミステリー関連の賞を総なめにしており、邦訳刊行された2016年には国内でも高い評価を得ています。

遅ればせながら今回初めて読んで、ますますウィリアム・ケント・クルーガーの未訳分を早く読みたくなりました。☆☆☆☆☆。

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