『ロンドン・ブールヴァード』

 今回の通勤電車内読書は、ケン・ブルーエン著「ロンドン・ブールヴァード」(新潮文庫)

 次に読む本を探して、いつものように浦安市立図書館中央館の文庫本933の棚を渉猟していたら、こないだ返した「アメリカン・スキン」の隣にこの本があったので、「ああ、ブルーウンだ。だけど、ちょっと雰囲気違うから版元違うのかな。」と思ってよく見たら、著者が「ケン・ブルーエン」になっているではないか。
 「う~ん、Ken Bruenをどう読むかという問題なのだろうな」と思いつつ訳者あとがきを見たら、

* ブルーエン(Bruen)の名は、早川書房版ではすべて「ブルーウン」と表記されてきたが、著者サイドに確認のうえ、原音に近い「ブルーエン」に変更した。(編集部)

とあって、訳者は鈴木恵で「アメリカン・スキン」と同じなのにな(酔いどれシリーズは東野さやか)と思った次第。

 こういうのって、意外と図書館泣かせで、著者検索する時にちゃんと同一著者の著作であるように結果が出なくてはならないから、きちんと典拠データをコントロールするのが図書館員の腕の見せ所なんだよなと思いながら、カウンターに持って行って借り出した。

 その後どうしても気になって、浦安市立図書館のWeb-OPACで検索すると、「ケン・ブルーウン」で2冊(酔いどれ故郷に帰る、アメリカン・スキン)、「ケン・ブルーエン」で1冊(ロンドン・ブールヴァード)の蔵書がヒットするから、著者典拠はコントロールされていない(別々の著者と判断されている)ということになる。
 ところが、ためしにカーリルで浦安市立図書館を指定して「ケン・ブルーウン」で検索かけてみると、蔵書されている3冊と未蔵書の1冊(酔いどれに悪人なし)の計4冊が見事にヒットして、しかも4冊の状態(蔵書なし、貸出可、貸出中)が一目瞭然でわかるのだ。素晴らしい。

 さて、本書のことに戻ろう。
 酔いどれシリーズとは離れたノン・シリーズだが、いつものように酒と薬と女にだらしない犯罪傾向の男が主人公であるところは共通。今回の主人公ミッチェルは、傷害の罪で3年服役して出所したばかりの腕っ節の強い45歳。前3作よりは、比較的自制が効いているとは言え、やることは大差ない。
 刑務所には戻らないと決意した彼が、昔の仲間とつるんでは再び犯罪の深みにはまっていく一方で、ふとしたきっかけで往年の大女優邸での仕事を得て、大女優や屋敷の執事との関係も深めていく。そして、2本の生活の線がやがて1本に収斂していく先は…。
 悪い奴はいろいろ出てくるけど、本当に悪い奴は一体誰なのかという終盤のどんでん返しが面白いのだが、畳み掛けがやや性急な気がしないでもない。

 巻末の訳者あとがきを読むと、本書は1950年公開のハリウッド映画「サンセット大通り」(ビリー・ワイルダー監督)を下敷きにしているらしい。映画観てたらもっと楽しく読めたのかな。

 ブルーエンの他の著作同様、本書でも詩や小説や音楽からの引用が端々を彩っている。こうした引用元の詩や小説や音楽を知っていると、更にもっと楽しく読めるのであろうが、なかなかその域には達しない。☆☆☆1/2。
 

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