『酔いどれに悪人なし』

『酔いどれに悪人なし』書影

 今回の通勤電車内読書は、ケン・ブルーウン著「酔いどれに悪人なし」(ハヤカワ・ミステリ文庫)
 そう、前回紹介した「酔いどれ故郷に帰る」と同じジャック・テイラーシリーズの第一作。浦安市立図書館には蔵書が無くて、2005年刊行の文庫なので既に品切れで新書も無く、Amazonの中古品の購入ボタンを押したのだった。こういう時に便利だよなAmazon

 さて、本書についてだ。シリーズ第二作の「酔いどれ故郷に帰る」を読んだだけではいまいち理解できなかった人間関係や主人公ジャックの生い立ちとか生き様が、本書を読むことで一層よく理解できる。一連の作品だと考えた方が良さそうだ。

 前作でもそうだったが、このシリーズの最大の魅力は、主人公のジャックが酒好きであると同時に、無類の読書家であるということだ。音楽も大事な要素になっているけれど、本について語られる部分に非常に心惹かれるものがある。
 例えば、ジャックが女友達のキャシー・Bと会話する部分、

「地獄の奥底で生きているやつでなきゃ、こんな清らかな声で歌えない」
 彼女はうなずいた。
「カフカだね」
「誰が?」
「いまの言葉を言った人」
「カフカを知ってるのか?」
「あたしは地獄を見てきた女だよ」

なんて感じ。ジャックはミステリ好きだが、ミステリに限らず哲学書から何から広範な書物を読んでいることが端々にわかるのだが、ロックバンドの追っかけをしてて、物語の舞台であるゴールウェイに流れ着いたジャンキー姉ちゃんの口から出てくるのがカフカだよ。参ったね、もう。
 それ以上にグッと来たのが、ジャックが死んだ父親を回想する部分、

 おふくろはしょっちゅう言ったもんだ。
「本なんか読ませたら、女みたいな子になっちゃうじゃないの」
 聞こえる範囲におふくろがいないと、親父は耳打ちした。
「母さんの言うことなんか気にするな。あれだって悪気はないんだ。けどな、本を読むのはやめるな」
「どうして、父さん?」
 べつに読書がやめたくて訊いたわけじゃない。そのころにはすでに魅力に取り憑かれていた。
「本は選択肢をあたえてくれる」
「選択肢って何?」
 親父は遠くを見るような目になって言った。
「自由だよ、坊主」

読書の本質をズバリと突いている。そう、いろんなものから自由になるために、僕らは本を読んでいる。そして、その選択肢がたくさん用意されているから、図書館は「民主主義の装置」と呼ばれる訳だ。
 こんなフレーズに出会えたことだけでも、本書を読む価値があったというものだ。☆☆☆☆1/2

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