昨日に続き、通勤電車読書のご紹介は、近藤史恵著「サクリファイス」(新潮文庫)。
そんな連ちゃんで、ちゃんと読んでるのかと言われそうだが、本書は解説まで入れて290ページ、浦安-新宿間の40分ほどの乗車時間で一往復半あれば読めてしまう。読むスピードは結構速いのだ。
さて、巻末の大矢博子による解説を読むまで、著者の近藤史恵がミステリー作家であることを知らなかった。浦安市立図書館では専ら文庫の933(英米文学)の棚を漁っていて、913(日本文学)はほとんど読まないので、日本のミステリーの現状を全然知らないのだ。ミステリー読むなら、やっぱり懐の広い英米ものの方が格段にクオリティ高いと思うし、適当に棚から抜いてもあまり外れがない。
そんなことはさておき、「サクリファイス」だ。解説を書いている大矢博子は自転車乗りの書評家で、本書の前に紹介した「セカンドウィンドII」の巻末解説も書いている。これは全くの偶然だが、自転車乗りの書評家が解説を書くくらいだから、本書も自転車、それもロードレースの話である。
自転車のロードレースは、優勝するのは個人だが、実は団体競技である。チームの中で当日のレースに誰を勝たせるか、緻密な戦略と役割分担が存在している。基本的にはチームに一人のエースがいて、そのエースをサポートするためのアシストが複数いる。それは、ロードレースという競技が、ひとつには空気抵抗との闘いでもあるからだ。
道路を高速で走るために緻密に計算され組み立てられたロードレーサーに乗って、単独もしくは集団の先頭を走る選手は、空気による大きな抵抗を受けるが、その後ろにぴたりとくっついて走ると抵抗を減らすことができ、半分以下の力で走ることができる。
だから、長距離を走るロードレースの場合、圧倒的な力の差がない限り、一人で最初から最後まで先頭を走ることができず、集団を形成して交代で先頭を代わりながら走って行き、要所要所でスプリントを発揮して最後に誰かが先頭でゴールするのである。その誰かをチームのエースにするために、チームで集団の形成やスピードをコントロールし、時には自らの乗る自転車をエースのために差し出したりすることさえあるのだ。そういうアシスト達の犠牲の上に、自転車ロードレースは成り立っている。
本書の主人公・白石誓は、将来を嘱望された陸上選手でありながら、勝つことの重みに違和感を覚え、勝たなくても走ることに意味があり、それが賞賛される自転車ロードレースの世界に転じた青年である。将来エースを狙えるだけの実力はありながら、アシストとしての仕事に生き甲斐を感じている。そしていつの日か、本場ヨーロッパの舞台で走りたいと夢見ている。
彼が所属するチームのエース石尾は、33歳のベテランながら、過去に自分の地位を脅かすと周囲から評されていた若手を事故に見せかけて再起不能にしたという黒い噂があった。
白石と同期の新人・伊庭は、次期エースの座を狙っており、そんな彼らが初めて同じレースに参加することになり、チームの中での実力や役割が試されることになる。
ここから描かれるのは、選手達の息づかいさえ感じさせる迫真のレースの醍醐味であり、それぞれの人間模様、アスリートとしてのプライド、男の世界にちょっとした彩りを添えるロマンスなどであり、ロードレースの面白さを十二分に伝えているが、物語が中盤を過ぎるあたりから、次第にミステリーの要素が加わって新たな事故が発生し、その事故が何故起きたのかという謎解きと平行しながら、主人公の成長が語られていく。
一流のスポーツ小説、自転車小説、青春小説でありながら、見事にミステリーとして完結している。☆☆☆☆☆。続編の「エデン」も早く読まなきゃ。
宮崎に毎日愛用していたクロスバイクを置いてきて3年が経過し、ちょっと自転車に渇望し、まだ乗ったことのないロード用自転車に憧れる気持ちが、自転車をテーマとした小説を選ばせているが、「セカンドウィンド」にしろ本作にしろ、自転車を知らない人でもその面白さや楽しさを十分に味わうことができるだろう。
これからは913の棚も漁ってみることにするか。