『闇の記憶』

 今回の通勤電車内読書は、ウィリアム・K・クルーガー著「闇の記憶」(講談社文庫)

主人公のコーク・オコナーは、ミネソタ州の雄大な北部森林地帯にある小さな町オーロラで、タマラック郡保安官事務所の保安官を務めている。この土地の先住民オブジワ族の血を少し引いており、郡の住民達の信頼も篤い。
文中に「もうじき半世紀を生きてきたことになる」とあるから、コークはほぼ私と同じ年だ。弁護士を務める美しく聡明な妻ジョーと3人の子ども達がいるのは、少し私とは違うが。

物語は、「結末」と題する5ページの短い章で幕を開ける。見知らぬ場所で目覚めたらしいジョーをコークが迎えに来たという場面。二人の間にあるプールの底には、撃たれて死んだらしき死体。果たして二人と死体の関係は?。

不穏な雰囲気のエピローグに続き、そのコークが、通報を受けて駆けつけた現場で何者かの狙撃を受け、同行していた保安官助手のマーシャが撃たれる。状況からして、犯人はコークを殺すつもりでおびき出し、マーシャを誤射したらしい。
その銃撃事件の捜査が緒に就いたばかりにも関わらず、今度は、ジョーのクライアントで、オブジワ族の人びととカジノの運営について交渉していたエディ・ジャコビの惨殺体が発見される。

果たしてコークに死んで欲しいと思っているのは誰なのか、二つの事件に何らかの関連はあるのか、雄大で美しい森林地帯とオブジワ族の文化を背景に、同僚や有能な助っ人の力を借りつつ、コークは少しずつに真相に近づいて行く。

二つの謎が交錯し新たな謎へと収斂して行くプロットの巧みさ、コークのみならず登場人物達の人物描写の上手さ、ここ1年の間に読んだミステリの中で、間違いなく最高の部類に入る作品である。

ミステリとしてはもちろん素晴らしいのだが、それと同時に、コークとジョーとジャコビ家の関係の中で呈示される、愛と家族の形についての記述が何とも素晴らしく感じる。
例えば、登場人物の一人が、かつて理由も告げずに別れた恋人に告解する場面の、

「いまはぼくにも息子がいる。だからわかるんだ。愛からは遠ざかれるが、家族は別だ。」

という科白だったり、ジャコビ家の一面を聞いた後で、ジョーがその有り様を思う場面の

「霊長類館のほうへ歩きながら、ジョーは思わざるをえなかった。世界にはたくさんの檻がある。そして、そのすべてに鉄格子があるわけではない。」

という記述が、不思議と私の琴線をくすぐるのだ。

総合評価は☆☆☆☆3/4。本来なら満点以上つけてもおかしくないクオリティなんだけど、3/4なんて半端な点をつけたのは、590ページも読ませてきておいて、エピローグで謎解きが保留されたままになるという、ある意味掟破りの構成になっているから。

謎解きは、次作の「希望の記憶」に引き継がれるとあって、早速、浦安市立図書館の蔵書を検索して、分館にあったのを中央館で受け取れるように予約した。ついでに、本書の前作「二度死んだ少女」にも予約を入れてしまった。

どっちを先に読むべきか悩ましいし、読むのが楽しみ。

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