『船に乗れ! I 合奏と協奏』

『船に乗れ!I』書影

 今回の通勤電車内読書は、藤谷治著「船に乗れ! I 合奏と協奏」(ジャイブ)
 確か、シリーズ3巻目が出たという書評を『本の雑誌』読んで読みたいリストに入れ、浦安市立図書館の蔵書を検索して予約かけたのだった。結構な人気らしく、予約者が既に数十人いたのを覚えている。
 先日、図書館から資料確保のメールが来て借り出しに行ったら、下のような内容の黄色い紙片が挟まっていて、初めての経験だったのでちょっと驚いた。

お待たせしました
お願い
 この本は、たくさんの方がお待ちになっています。読み終わりましたら期限内でも、できるだけ早くお返しくださいますよう、ご協力お願いいたします。

 まだ後ろにたくさんの予約者がいる訳ね。早く読むから許してね。読書記録(これ)書き終わったらすぐ返すから、と思ったのは勿論である。

 そんなことはさておき、本書は出版社がジャイブであることからもわかるように(ごく一部の人しかわからないか(笑))、青春小説である。ということは、主人公を始め登場人物達の成長の物語であるのだが、そこに、音楽と哲学を加味して、素晴らしく良い出来になっている。図書館で予約者が多いのも頷ける。
 主人公の津島サトルは、祖父母が音楽家の家系に産まれて小さい頃から音楽の英才教育を受け、ちょっとした挫折から一流ではない(と本人が思う)高校の音楽科でチェロを専攻する、ニーチェの超人思想にかぶれたちょっと小生意気な男の子である。
 シリーズ1巻目の本書では、そんな彼の幼少から高校入学までと、高校1年の学園生活が、後年のサトル自身により懐古的に描かれる。そこでサトルが出会うのは、音楽を共にする友人であり、恋であり、初めてのオーケストラであり、アンサンブル(ピアノ・トリオ)である。
 そしてまた、ニーチェかぶれの彼が、金窪先生という師と出会い音楽とも向き合うことによって、哲学をも学んで行く。この過程が実に素晴らしい。誰でも高校時代に学び、結局わからないままに過ぎてきたであろう哲学の歴史が、平易にわかりやすく解説されて行くのだ。これだけでも必読の価値がある。
 また、音楽や音楽家、演奏家に関する記述も素晴らしいと思う。私は残念ながら、本書に出てくるクラッシックに対する素養が無く、楽器も全くと言っていいほど演奏できないけれど、本書を読むと、出てくる曲を改めて聴いてみたいと思うし、若い時に何でも良いから楽器を少しでも弾きこなせるようになっておけばよかったなと思ったりもする。
 例えば、中盤過ぎたあたりで、チェリストのパブロ・カザルスが1961年11月にホワイトハウスで演奏した時のレコードに関する記述があり、その中で演奏された「鳥の歌」という曲について、
聴いていると、希望というものが本質的に持っているどうしようもない悲しみに、心がちぎれそうになる。それは止まることのない爆撃と掠奪の中で、巣も卵も失った火傷だらけの鳥が、それでも平和を願って鳴いているように聞こえるのだ。
などと記されるのだ。そうか、そんな演奏があったのか、それならば聴いてみたいと思わせるではないか。

 音楽や哲学に関する豊富な知識は、おそらく作者の実体験をベースにしているであろうと思わせるが、サトルが仲間や家族や先生達との関係の中で成長していく過程、淡い恋の行方、素晴らしく楽しみな青春小説の序章がここにある。☆☆☆☆☆。

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