今回の通勤電車内読書は、アン・ズルーディ著「アテネからの使者」(小学館文庫)。
舞台は、エーゲ海に浮かぶ小さな島、ティミノス島。春真っ盛りのある日、まだ若い漁師の妻イリーニの死体が崖の下で発見される。
その数ヶ月後、島の警察署にヘルメス・ディアクトロス<神々の使者ヘルメス>と名乗る太った男が現れる。<ヘルメスの翼のサンダル>と名付けた白いスニーカーを履く太った男は、一癖ありそうな警察署長に、「イリーニの死について調査するためにアテネからやってきた」と告げる。
警察署は、まともな捜査もしないままイリーニの死を自殺として片付けていたが、その背景には、イリーニが夫のアンドレアスが漁に出ている留守中に島の若い大工テオと不貞を働いていたという噂があった。
太った男ヘルメスは島のあちこちを巡り、イリーニを知る人びとに彼女の名誉を守るために話を聞いて回る。
イリーニの独白を交えて展開される物語は、古い因習や閉ざされた環境故の濃密な人間関係に囚われた人びとが、単調な生活の中で、どのように人と出会い、愛を育み、愛を失って行くのかを、島の自然や生活とともに描き出していく。
通常のミステリとは趣の異なる、民俗学や宗教学の雰囲気さえ感じさせる物語は、終盤で意外な犯人の姿をあぶり出すことになるが、その裁きもまた神話的であり、死者の後に残された者達への太った男の心遣いの温かさが余韻として残る。
最後まで明かされない太った男の正体も含め、不思議な感触のミステリである。☆☆☆1/2。