『エデン』

 今回の通勤電車内読書は、近藤史恵著「エデン」(新潮社)

 前作「サクリファイス」の世界から何年経つのだろう?。シリーズ2作目の本作では、主人公の白石誓は27歳になっている。舞台はヨーロッパ。誓(愛称チカ)は、スペインのチームを経て、今はフランス北部に拠点を置くパート・ピカルディというチームに在席して半年になる。
 いつかはヨーロッパへと夢見た青年が、その夢を現実のものとして本場の舞台に立っている訳だ。
 ここでも彼の役割はチームのエースであるフィンランド人のミッコ・コルホネンを助けるアシスト、しかも山岳コース専門のアシストだ。
 しかし、パート・ピカルディに来て、アシストとしてはともかく、レーサーとしてまだまともな結果を出せていない中、チームのスポンサーの撤退が決まり、次のチームに移るためにも、個人として結果を出さざるを得ない状況に追い込まれている。

 よく言われることがある。プロスポーツの世界というのは椅子取りゲームだ、と。
 チームの数はほぼ決まっていて、そして新しい才能も次々に生まれてくる。決まった椅子をみんなで取り合い、そして必ず脱落していく者がいる。
 だが、実のところこのゲームに挑まなくてはならないのは、ごく一握りの人間だ。
 スターには、椅子はいくつも差し出される。華々しい勝利を挙げた者、または勝利に近いとされる者たちは、音楽が止まるのを待つ必要もない。悠々と、好きな椅子を選べばいい。
 また、その次に年俸にさえ文句を言わなければ、楽に座れる者たちがいる。若者たちも可能性があるから有利だ。
 そんなふうにして順当に多くの椅子が埋まる。そして、最後に残ったわずかな椅子を血眼になって奪い合う者たちがいるのだ。

 白石誓は、そんな奪い合いに参加しなくてはならない選手なのだ。

 彼らが次に出場するのは、3週間の長丁場で栄光を競う、誰もが憧れるツール・ド・フランス。グラン・ツールと呼ばれるレースの中でも最上の格付けを誇り、注目の度合いも違う。

 ここでミッコにマイヨ・ジョーヌを取らせるのが、チームの役割のはずだが、ピカルディの監督・マルセルは初日のステージが終わった後、フランス人の期待の新星ニコラ・ラフォンがエースのクレディ・ブルターニュと共同戦線を組むように指示を出す。
 新しいスポンサーを獲得したい監督の思惑に動揺するピカルディの選手達。

 様々な思惑や選手達の想いを乗せて、ツール・ド・フランスのステージが進んで行く。
 レースを通じて、チカは優勝争いに絡むニコラとの親交も深めていく。

 選手達の息づかい、風を切る音、雨の匂い、選手同士の駆け引き、テレビでしか観たことのないツールの日々を生々しく描く著者の筆は冴える。
 そして、一作目がそうであったように、著者の近藤史恵はミステリ作家であることを忘れてはならない。
 ここで鍵となるのは、ドーピングの問題だ。CERAと呼ばれる、赤血球を増やすことで有酸素運動のパフォーマンスを上げるドラッグ。効果は絶大だが、同時に、心筋梗塞や脳梗塞のリスクもある。

 この禁断のドラッグをニコラが使っているという噂が流れる。若い彼が急に力をつけたのは、ドラッグに手を染めているからだと。
 果たして、ドラッグを使っているのはどの選手なのか?。レースが終盤にさしかかった時、その謎が意外な結果で明かされる。

 マイヨ・ジョーヌを手にするのは? チカの来季の契約は?
 ほろ苦さの先に、一種壮快な結末を置いたのは、やはり著者もロードレースの世界を愛しているからだろうか。
 一作目ほどの出来ではないが、それでも自転車好きにはたまらない小説である。☆☆☆☆。

 引用した椅子取りゲームのくだり、プロスポーツに限らず、アマチュアでも同じだなと、娘を見ていてそう思う。彼女もまた、厳しい世界を生きている。

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